米大使館に抗議団
−地方議員百人の会 増木さんの決死のレポートです−

 

平成19年9月5日

主権回復を目指す会

 

九月五日 一五三0 ワレキシュウニセイコウセリ トラトラトラ

私は、山本五十六長官が、戦争に反対した気持ちが理解できたような気がします。絶対米国と一戦交えてはいけない。
長官は、「私は米国の工業地帯を視察し、戦争はすべきではないと思った。」と語られました。
これは、我々にわかりやすく説明するためにこのように言われたのだと思います。
もちろん文字通り、米国の工業力に脅威を感じたのは事実でしょうが、それ以上にアメリカ人気質、アメリカ人の奥の深さに脅威を感じたのではないでしょうか。
昨日5日、「トロイの木馬」作戦敢行。結論から言うと、木馬は総ガラス張りでも良かったのかもしれない。ということです。
米国議会での従軍慰安婦決議に対しての抗議と沈静化を求めての陳情、話題が拡大すれば原爆投下、無差別空襲に対しての謝罪要求運動を起こす。と申し入れ行きました。早い話が脅しです。

15時30分、アメリカ大使館へニイタカヤマノボレ!

【史上最強の地方議員軍団】

代表  高山博光  福岡市議会議員
representative Hiromitsu Takayama the Fukuoka city council
伊藤 玲子 元鎌倉市議会議員
Reiko Ito the former Kamakura city council
古賀 俊昭 東京都議会議員
Toshiaki Koga the Tokyo metropolitan council
宍倉 清蔵 千葉市議会議員
Seizo Shishikura the Chiba city council
三橋 弘明 茂原市議会議員
Hiroaki Mitsuhashi the Mobara city council
増木 重夫 事務局
Shigeo Masuki a secretariat
西村 修平 事務局
Syuuhei Nishimura a secretariat

大使館の周囲の警備は大阪領事館の10倍。周囲のビルの最上階には警備担当がいるとか。

警視庁の警備隊長に「30分以内に帰ってこなかったら戦車で助けに着て欲しい。」と約束。
西村と、「無事出てこられるかな〜〜〜。」まず玄関での身体検査。携帯電話、ペットボトル、電子機器等一切持ち込み禁止。録音テープなど論外。中に入ってから計4回のセキュリテイーチェック。
最後の関門は小銃を持ったMP。その時、「CLEAN」のカードをもらう。すかさず古賀議員が「縦書きにしろ!」
ここでも言うか。係官に「拳銃は持ってないですか」と問われ、宍倉議員が「ささやかな物を一丁持っています。」とわけのわからない返答。伊藤玲子先生が「何言ってんのよ」と、わかってかわからずかわからないが一発かます!
話が前後しますが、今回の大使館訪問に当たって、事前交渉で(当たり前の話だが)目的 訪問者名簿、 等の提出を求められ、根ほり葉堀は質問され、「百人の会のHP」の中身にまで質問されました。
米国は我々のことを調べつくしています。私の本業の塾のことにまで話は及びました。
私は、訪問者に一か八か西村修平を申請しました。西村と言えば、警備のおまわりさんと顔見知り。
米国大使館に街宣、抗議に行った回数数十回・・・・・米国から見るとチョー札付き。ビンラビンか西村修平。
そこまで大物ではないにしろブラックリストに乗っていることだけは間違いありません。
西村を外せといわれるか、訪問が潰れるかの賭けでした。この西村の訪問を認めたことに、米国の「太っ腹、奥の深さ」を感じまず脅威を感じました。「スゴイ国だな〜〜〜〜!」通らばリーチと思ったけど、まさか通るとは。
そして中に入りました。凛として、華美なことは一切無い質素な中屋内。しかし始めてお目にかかる重厚さ。
エレベーターで7階へ。そこに今回の対応者政治部次席マークナッパー氏が我々をニコニコと待ち受けていました。
ニコニコであり、ニヤニヤではなく、決してヘラヘラでもありません。(これは日本の役人へのいやみでっせ!)
部屋に入り席に着きました。ナッパー氏が英語で口火を切ります・・・・・・・・。
それを秘書が通訳。
遠くからも来ていただいてことに大変感謝する。地方議員、市民の皆さんと交流の場がもててたいへん嬉しい。
今まで経験のないことだ。
英語で話すことをお許し戴きたい。私は皆様からお聞きしたことを私がどのように解釈したかを話します。
私は皆様の話されたことを正確に本国に伝える義務がある。間違った理解があれば指摘して欲しい。
たいへん丁寧でそつがない。応対に誠実さと真摯さをひしひしと感じる。政治的回答の如何はもちろん分からない。
しかし来た価値は十分にあったと思った。我々にここまできちっとした対応をすることが脅威の第二である。
今まで「背面服従マン」にいやというほど会ってきた。私は決してアメリカびいきではないが、日本の役所ではありえない。
そして高山博光団長が、こちらが用意した趣意書を手渡し用件を話し始める。
こちらの事前の心配は「趣意書」、ハッキリ言えば脅迫状を米国が受けとるか否か。
いかに、「原爆謝れ!」と書いてある趣意書を受けとらせるか。そこが作戦のポイントでした。事前に原爆謝罪を言い出すと面談を拒否されるのではないかと思い、そのことは国境を越えてから話すこととし、「議会決議に抗議」だけを面談の目的とし、申請したわけです。
いわば、トロイの木馬作戦。それは杞憂に過ぎませんでした。
ナッパー氏は受けとるも受けとらないも逡巡する我々に「早く出せよ!」という雰囲気で積極的に読み始めました。
読み終えるのを待って高山博光団長が口頭で説明。伊藤先生が、「従軍慰安婦という言葉は当時はなかった」。宍倉先生が「従軍慰安婦は捏造話」、三橋先生は「もう終わりにしよう」。古賀先生は「教科書からも消えた」などと一言二言交互に話しました。そして西村修平が平成の大演説!

「私は一日本国民として米国大使館政務部次席のマークE・ナッパー氏に申し上げます。
議会で通ったいわゆる慰安婦強制連行の決議案だが、シナ・中共の対日精神侵略の重要構成部分であり、日本を精神的に屈服させる歴史偽造であります。
シーファー大使始め米国議会の議員の方々の知性は極めて高いことを我々は知っています。
その方々の知性をもってして、慰安婦強制連行が国家的レベルで日本が行ったなど、誰しもが信じてはいないはずであります。十分に歴史偽造であることを分かっていて、日本を非難している。慰安婦強制連行を最も声高に叫んでいるのが、中華人民共和国のシナ・中共だが、この国家は世界最大の人権蹂躙国家であることは言うまでもありません。この中華人民共和国は、我が国と同盟関係を結び、民主主義という価値を共有する貴国との関係において、国家の価値観を異にする一党独裁国家であります。
自由主義国家に属する筈の米国が、独裁国家のシナ・中共と一緒になって歴史偽造を煽る事態を、我々は米国がシナ・中共と共に日本人を精神的に共同管理する方向へシフト転換したとみなさざるを得ません。つまり、国家の価値観を共有する同盟関係の破棄とみなすことが出来るのです。先程から、我々の発言にあった米国の原爆投下、東京大空襲、各地方64都市への爆撃、非戦闘員への機銃掃射などの戦争犯罪を、これまで告発することを控えて来たのは、貴国と日本が揺るぎない同盟関係にあればこそだったからです。昭和20年8月15日、米国占領軍の先遣隊が厚木基地に降り立ち、最初にした任務は米兵専用の慰安所の設置でした。米兵の婦女暴行を防ぐとして、我が国政府は早くも同月18日、通牒を発して、米兵相手の慰安所を各地に設置したのです。そこには日本人女性約8万人が集められ、貴国の兵を相手の性的使役に供せられた。米国は我が国女性に対して性奴隷制を強要したのであります。米国はシナ、朝鮮と仲良くして歴史偽造を演ずる前に、戦争犯罪の数々と日本人女性に加えた幾多の性暴力に国家として謝罪し、被害者に賠償金を支払う義務が生ずるのです。米国が、独裁国家と共に歴史偽造を煽り、我が国の名誉を汚すに至っては、もはや同盟関係は成り立たない。
米国が慰安婦決議案の撤回をしないとなれば、我々日本人は米国に宣言しなければならない。日本国民は米国に寄せる幻想から目覚め自主独立を目指す。シナ・中共の侵略と戦うのはもちろん、我が国土は我が国民が守る自主独立であります。
米国が犯した日本人殺戮の戦争犯罪と我が国女性に加えた性暴力の犯罪を徹底して告発・追及していくと。
願わくは、米国がこれ以上、我々にこうした行動を起こさなくても良いように最大限の配慮と決断を示して頂きたい。」

これが西村修平の大演説の全容です。ほとんど一字一句間違っていないと思います。
これは本に書いたわけでもなく、身内の講演会で言ったのでもありません。米国大使館で、大使館を代表して我々に担当した米国政府の担当官に面と向かって言ったのです。
今までに、ここまでハッキリものを言った日本人がいるでしょうか。私は思いました。今後、このような、ここ一番という外交交渉には絶対西村を出させることである。と。外務大臣10人分の仕事を彼はやったのではないでしょうか。
自賛しますが、私が西村同行を企てたことは大正解で誉めて戴きたい。

最後に私(増木)が、アメリカは兄である。たいへん尊敬している。しかし足を踏まれるといくら尊敬する兄であっても噛みつきたくもなります。日本と米国は絶対兄弟喧嘩をしてはいけない。世界の平和と秩序のため末永く信頼と友情を持って付き合わなければならない。それが破綻することは絶対止めて欲しい。今さら議会で決まったことを撤回が出来ないことも重々承知している。
日本には「塩漬け」と言う言葉があります。スミマセンが、「塩漬け」通訳していただけませんか(秘書に)。いや、意味は良く分かります(ナッパー氏)。
ナッパー氏が「何でもお話下さい。」と言い、「これで十分です。ありがとうございました。」と我々から席を立ちました。
「交渉は先に席を立ったほうが負け」これが私の持論ですが、完敗でした。約束は10分でした。しかし結局30分ほど話し込みました。
ナッパー氏は「皆様のご要望はワシントンと議会に私が責任を持って伝える。お約束します。」と約束してくれました。
それも我々から言い出だす前に。我々は我々の趣意が本国に届くかどうか、途中でもみ消されるのではなかろうかと一番に心配するわけですが、我々の心情の先読み。敵ながらアッパレ! と言わざるを得ません。ナッパー氏は40歳くらい。
度量の大きさ・・・・外交とは何かを勉強させられました。このような接待術を日本の役人は身につけて欲しいそして本題の日米外交。これから日本が米国と対等に付き合うためにはどうしたらいいのか。それは国民総西村修平にならなければならないと感じました。こう言えば相手はこう思うだろうから、とか、これを言ったら友好にひびが入るからなどと思っていたら相手にバカにされるだけ。ハキリ言わないことが日本の美徳、奥ゆかしさ。それは国内の話であって、外国人と真の友情を深めようと思ったら、日本人には最も苦手ですが「率直に思いを言うこと」これしかないと思います。
いま、ナッパー氏が最も信頼しているのは西村であるといってもオーバーではないと思うのです。
日本人の性格、アメリカ人の性格を考え、60数年前、山本長官も考えられ「戦争反対」を唱えたのではないでしょうか。
とにかく、日本人としての「誇り」はキッチリ守ってきました。緊張と充実と、生涯に残るであろう一日でした。

「米国に長崎広島原爆投下の謝罪を求める地方議員と市民の会」は今後も活動を継続を続けます。アメリカが我々の思いを大事にしてくれれば当会は自然消滅するでしょう。しかし、当分は警戒警報。
いつでも活動できる準備だけは怠らずにしておきたいと思います。ご声援ください。

増木

 
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