シナ人による シナ人のための シナ人の池袋乗っ取り(東京中華街構想)が8月8日を発足日として準備が進められている。このままでは池袋がシナ人の治外法権下におかれてしまう。
こうした状況を踏まえ、西村・村田・桜井・瀬戸が シナ人の巣窟・池袋西口へ突入街宣を実施、支援者ら約百人が参加した。
「池袋をシナ人がが増殖する温床にさせてはならない」「凶悪シナ人を一人残らず池袋から叩き出せ!」と、 シナマフィア・シナ人犯罪者がなだれ込む池袋の浄化に立ち上がろうと訴えた。
【侍蟻 samuraiari】平成20年7月20日から
「強い日本」とは、どういう日本か!?
街頭演説活動の最中、移民反対を掲げたビラを支持者らに配布していたところ、警視庁の警察官らが「一枚もらえるか?」と聞いてきたので差し上げた。
我々の行動の趣旨に賛同しているから受け取ったわけではなく、飽くまでも任務の一環として、参考資料として受け取ったことは言うまでもない。
「警視庁も『移民反対!』って、やって下さいよ^^」
―言った私に警察官は苦笑したが、外国人の単純労働者受け入れは政府方針としても固く禁じている。
福田・自民党政権や愚かな研究者らは「外国人労働者の受け入れではなく、日本の人口が減少するから1千万人の移民を受け入れて共に日本を担ってもらう」などと奇麗事を並べ立てているが、実態は労働力の補完であり、日本社会に最下層を創り出そうと目論んでいることに変わりはない。
以前、警視庁某署の副署長に外国人犯罪のインタビューをした時、「人口減少なのだから移民受け入れもやむなし」とする旨の答弁をしていたが―、
これが情けない!
仮にも国民からの負託を受けて桜の大紋を背負っている身なら、池袋チャイナ・タウン構想や移民1千万人受け入れ計画などは治安維持に重大な悪影響を及ぼすのだから、毅然たる姿勢の一端でも見せてもらいたいものではないか!
昔、警察署長と言えば「中国人を見たら泥棒だと思え」と言って署員らに檄を飛ばしていた時代もあったという。
おそらく、今の時代に警察幹部がそんなことを言えば、たちまち人権派団体やマスメディアから「差別的」「排他的」として総バッシングに遭うに違いない。
だから治安維持の為には当然のことでも警察も自治体・役所・行政機関は何も言えないし、言葉を濁すのだ。
集中するであろうバッシングを恐れて、国民からいかに「外国人犯罪の多発を憂慮する」「屯する外国人が怖い」との声が多数寄せられても、それを公表するに踏み切らない…。
しかし、国民の生命・安全・生活の前には、人権だの人道だのは全てまやかしの言葉である。
例えばシナ中国では人民の基本的人権など保障されていない。なのに、そのような国から来た者らに、何故に日本国だけが人権を保障してやる必要があると言うのか?
自らの母国でさえ人権が保障されていない連中に!
だから日本政府も、各地の自治体も行政機関も言えば良い。
「日本国民の生命・安全・生活の前には、外国人の人権などは無きに等しいものと考えてください―」と。
警視庁も堂々と言えば良い。
「中国人や朝鮮人の犯罪が多発している。それらの者を見かけたら臆することなく職務質問をする―」と。
そして政府が進める「亡国の移民プロジェクトに反対する―」とも。
このようなことを治安当局や行政として言えば、何かトンでもない逆鱗に触れるかのような錯覚に日本国中が覆われている。
その時点で負けている!
だから日本はいつまで経ってもシナ・朝鮮などの周辺国に弱腰に出ざるを得ない。
正々堂々と、差別でもタブーでも何でもないことを「官公庁」として、あるいはそれらの職員として何ら憚ることなく主張出来なければ、1千万人の移民を差し向け、池袋チャイナ・タウン構想のような乱暴を平然と行なう周辺国に勝てるわけがないだろう。
そうした外国の「人口侵略」に対して、当然の認識が広まりつつある民間レベルでもタブーを打ち破ることが要求されている。
例えば、中国のことを「支那(シナ)」と呼ばれることを中国人は嫌っている…というものだ。
中国のことを正しく「シナ」と呼称することは差別でも何でもなく、当然の呼称である。
中華料理=シナ料理であり、ラーメン=シナソバであり、反日思想に基づく愛国教育を受け、自らの国が世界の中心であると思い上がる当のシナ人が何と言おうが、シナはシナと呼べばいい。
治安・文化…あらゆるものが共産シナによって壊されつつある状況下で、日本が生き残るためには官民を挙げ、偽りの人権・人道主義によって「創られたタブー」を打ち破る以外にないだろう。