平成20年11月27日、栃木県の宇都宮地裁301号法廷にて県警巡査の発砲を受けて死亡したシナ・中国人の遺族らが県を相手に5千万円の賠償を求めた民事賠償請求訴訟第8回公判が行なわれた。
今回初めて当事者である証人として、発砲した平田学巡査(当時)が出廷し、当時の生々しい状況を証言した。
原告側弁護人として鬼束忠則や日隅一雄、花垣存彦ら反日・人権派弁護士らの尋問には毅然と、裁判長からの指示には明確な口調で受け答えする様が印象的であった。
【侍蟻 11月28,29,30日より】
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/2008-11.html
逮捕術とは読んで字の如く警棒や素手で相手を組み伏せ、逮捕する格闘術だが、まず被告側弁護人からの「拳銃を使用する前に、逮捕術による措置があるべきか」との問いに対して、必ずしも最初に逮捕術を使う必要はなく、その事案や状況に応じて即座に拳銃を使用する場合も有り得る旨を述べた。
事件のあった当日、役場での打ち合わせを午前中に終え、午後は空き巣事件への対応やパトロールなどで出動しており、駐在所へ戻ったのは午後4時30分頃だった。
後に職務質問することとなる羅成と張学華の2人を発見したのは駐在所で書類整理に当たっている時のこと。
駐在所から約100メートル離れた地点で2人は缶飲料を飲みながら、辺りをキョロキョロしていて不審な行動が目立った。
平田巡査は一旦は駐在所内での書類整理に戻ったものの、約10分後に再び2人の姿を確認。
平日の日中に2人の成人男性が何をするでもなく居たので「何をしているのか?」と不審に思ったという。
そこで、その付近で畑仕事をしていた住民に訊いても「見たことのない人たち」という反応で、2人が立ち去ろうとするのを確認すると、駐在所へ無線機などの装備を取りに戻り、ミニパトで2人の後を追ったのである。
追跡に自転車やバイクを使わず、ミニパトを使ったのは目的地が定まっておらず、場合によっては広範な地域で2人を探索しなければならないと考えたためだ。
何気ない出動と思いきや、この後、彼・平田巡査の人生をも大きく揺るがせる事態が待ち受けているとは恐らく本人も想像だにしていなかったのではないか…。
平田氏は突出した能力や何らかの特異性を有しているわけでもなく、現在のごく平均的な警察官の姿であると言えるのかも知れない。
この後に起きる発砲とそれに対する訴えは、日々の公務を真っ当にこなす、ごく普通の警察官が嵌ってしまった「落とし穴」と言えるだろうか。
何らかの特別な立場に居たからそうなったのではなく、鹿沼警察署の駐在所に勤務する巡査がある日突然、恣意的に「悲劇の主人公」に仕立て上げられてしまった。