竹島を韓国から奪還するぞ!デモ行進 !
<日本政府は軍事力を含めたあらゆる手段で竹島を奪還せよ>
竹島を韓国領という不逞朝鮮人を日本から叩き出せ

 

平成21年2月21日

 

 「2月22日竹島の日」に先だって行われたデモ行進(東京・渋谷、21日)には約80名が参加、透き通った冬空の下を「韓国の日本侵略を許さないぞ!」「不逞朝鮮人は日本列島から出ていけ!」の声を果敢に響かせた。なおデモ行進の集会で採択した決議文は内閣府と韓国大使館へ届けられる。

デモ呼び掛け:
主権回復を目指す会、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』、NPO外国人犯罪追放運動、
在日特権を許さない市民の会、外国人参政権に反対する会・東京、千風の会、日本を護る市民の会

 
【決議文】
 
 2月22日は竹島の日、竹島が島根県に編入された日である。明治38年(1905年)2月22日、島根県告示第40号に基づき、島根県知事が所属所管を明らかにしたことに由来する。

 その竹島が韓国に軍事占領されて久しく、この不当な現状が既成事実化している。それは偏に韓国に対する日本政府の弱腰腑抜けに起因する。この腑抜け弱腰外交は韓国・朝鮮人を増長させて止まず、今や対馬まで韓国領だとして侵略の野望をむき出しにしている。

 日本人による竹島の知見は江戸時代にさかのぼり、1618年には鳥取藩伯耆国米子の町人・大谷甚吉、村川市平衛は同藩主を通じて幕府から鬱陵島への渡海免許を受け、毎年一回鬱陵島に渡航してアワビの採取、あしかの捕獲、樹木などの伐採に従事した。両家は葵の御紋を打つ出した船印たてて竹島近海の開発を進めたのである。この海域は両家の労苦で長く豊饒の海として栄え、多くの海産物を遠く江戸まで送り届けていた。

 この我が国固有の領土を韓国は昭和29年(1954年)9月、軍事占領して今日に至っている。この軍事占領に先立って韓国は「李承晩ライン」を一方的に線引きし、我が国海洋資源を略奪し、挙げ句の果てに日本人漁民を銃撃するなど、23人に上る同胞が虐殺された。拿捕された漁船は300隻、4000人の漁民が抑留され、収容所では容赦のない虐待を受けた。我が国漁民が受けたこれら血の債務を韓国はそれ以上の対価として贖い、日本国民に決済しなければならい。

 日本政府は韓国の経済危機の尻ぬぐいなどすることはないし、かの国が破産したところで日本は痛くもかゆくもない。韓国は日本が朝鮮半島を統治したおかげで近代国家へ脱皮できた。その貢献に対し、恩を仇で返す朝鮮民族をこれ以上救済する気など日本国民は欠片も持ち合わせていない。朝鮮人へ警告する!これ以上日本にたかるなと。

 先祖が営々として築き上げてきた領土を守るのは日本民族に課せられた義務である。竹島を韓国領と言い張る不逞朝鮮人をこの渋谷から、日本列島から一人残らず叩き出そう。
日本民族の怒りを声高く叫ぼう!「韓国の日本侵略を許さないぞ!」「不逞朝鮮人は日本列島から出ていけ!」と。
 
平成21年2月21日
竹島を韓国から奪還するぞ!デモ行進一同
 
西村代表が呼び掛け人として
デモの意義を訴える
デモ行進へ連帯の挨拶を述べる
吉田康一郎東京都議
 
桜井誠氏がヘリポート建設などで
竹島が荒らされている状況を報告
  瀬戸、有門両氏を先頭に進む
渋谷のメインストリート
 
 
韓国領を叫ぶ朝鮮人へ突き付けられた銃口だ   濃紺を色鮮やかに冬の日差しが照らす
 
 
そうである「子供達へ残そう日本」、
領土を守るのは日本民族に課せられた義務である
  これが日本統治前の朝鮮だ。
「韓国は日本が朝鮮半島を統治したおかげで
近代国家へ脱皮できた。その貢献に対し、
恩を仇で返す朝鮮民族をこれ以上救済する気など
日本国民は欠片も持ち合わせていない」(決議文)
 
 
デモ行進を見つめるハチ公前の群衆   退役軍人の蛮行が通行人の目を引く
 
 
不満気にデモ行進に目をやる朝鮮人カップル   渋谷駅ガード下を通り抜けるデモ隊
 
 
 
 
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