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平成21年6月9日
主権回復を目指す会代表 西村修平
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』代表 瀬戸弘幸 |
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<台湾人よ シナ人の手先に成り下がるな!日本人を嘗めるな!!> |
6月1日19時、台湾の調査船が沖縄県の尖閣諸島の沖の日本の排他的経済水域内に侵入、事前に日本側の同意を得ずに海洋調査行動を行った。しかも漁業調査船と称する船舶は、日本側の「中止命令」を無視して海洋調査を5日、19時までも続行した。漁業調査船を偽装しつつワイヤーロープを曳航する行為は明らかな軍事的な目的調査そのものだ。丸五日間にして正味120時間、警告を無視したうえに計算し尽くした調査は意図的な侵略以外の何ものでもない。
台湾はやはり昨年6月10日、遊魚船に仕立てた船舶を尖閣諸島の領海内へ侵犯させ、我が国巡視船へ体当たりを試みて自沈を演じた。しかも台湾側この時、自らの侵犯行為に口を拭い、何と日本から三千九百万円もの損害賠償をせしめ取った。さらに時を置かず、台湾は同月10日、16日と巡視船まで繰り出しては「抗議」と称して、再三再四に亘り尖閣諸島領海を侵犯した。
台湾は、何と今度は翌7月にも尖閣諸島・魚釣島の南西約22キロの海上で、台湾の海洋調査船「海研1号」(国立台湾大学海洋研究所所属、794トン、全長50メートル)が日本の領海内に侵入し、調査という侵略を強行している。
日本側の対応を見定めた周到緻密な仕掛け、度重なる侵犯行為は過去、シナが尖閣へ触手を伸ばしては侵略の実績を積み重ねてきた経緯とその手法は瓜二つである。
今や台湾はシナの手先となって我が国侵略の尖兵を演じているが、心ある日本人を愚弄、見下すにも程があるぞ。台湾を近代国家に脱皮させた過去の日本に、あろう事かシナ人の犬となって噛みついているが、その忘恩が如何なる結果をもたらすかは全て台湾側にある。
尖閣諸島は明治5年に我が国政府によって琉球藩に編入、同12年には廃藩置県でもって県令に鍋島直彬を任命している。さらに同17年、古賀辰四郎は尖閣諸島を調査・探検後、同島の開拓に着手した。内務大臣から同島を向こう30年の期限で無償貸与を受け、多数の開拓民と共に鰹節工場などを営々と興して来たのである。
なお、古賀辰四郎氏並びにそのご子孫、後継者は平成の時代に至るまで、同島の固定資産税を沖縄県・石垣市へ納めてきている。平成14年、日本政府は後継者たる栗原国起氏から年間3千万円で島の借り上げを行い、現在に至っているのが紛れもない現状である。
一体ここの何処に、尖閣諸島で台湾人とシナ人とかが生活した足跡があるのか、盗人猛々しいにも程があるぞ!台湾よ。
小出しに再演する侵略を既成事実化し、台湾の馬英九政権は尖閣諸島の領有権問題を棚上げし、周辺海域の日台共同開発を提案しているが、使い古されたセリフを口にするものではない。過去、搶ャ平は「尖閣問題は後の世代の知恵に任せて解決しよう」(昭和53年)と公言し、その舌の根も乾かない内に次々に尖閣諸島を侵犯してきた。馬英九・シナ人の犬よ!恥を知れ。
1969年、尖閣諸島周辺海域で石油の埋蔵が発表されたとき、他に先駆けていち早くその権利を主張したのはシナ政府ではなく台湾(中華民国)であった。同年、7月17日、台湾の行政院は「自国沿岸に隣接する大陸棚の天然資源に対して全ての主権的権利を行使する」として、ガルフその他の米国系石油企業と探査・試掘の契約を結んだ。この侵略の野望を台湾政府は李登輝政権においても放棄しないで馬英九政権に受け継がれている。
台湾政府と台湾人へ警告する!取り返すことが出来ない結果を招く前に尖閣諸島の侵略を止めよ。日本人を嘗めるにも程があるぞ! |
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