今の日本、何がどう異常なのか
財団法人・日本学協会『日本』 平成16年(2004)6月号
酒 井 信 彦 (東京大学教授)
はじめに
今の日本で、どういう異常な問題があるかということを、私が関心をもっていることについて、モラルの問題、経済の問題、命の問題に分けて、なるべく具体的な数字を示しながら、申し上げたいと思います。
モラルの問題
「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、今の日本は衣食がたりていることは、「ホームレス」という言葉があることからも判ります。昔は、そういう人たちのことを「乞食」と言ったのですが、今は「衣、食、住」のうち衣食は足りて「住」がないから、ホームレスと呼んでいるのだと思います。しかし、今の日本には、衣食が足りて礼節を忘れた姿が、あちこちに見られ、そこには深刻な問題が伏在しています。
その1つは、落書きの問題であります。落書きが非常に目立つようになっておりますが、これは単なる礼節を忘れた問題ではなく、もっと奥深い問題がある様に思います。はっきり言って、組織的に行われているのではないかという感じがしますし、そうであれば、かなり深刻な問題だと考えざるをえません。私がこの落書き問題を取り上げた理由は、これが日本文化の伝統的な美意識に、非常に反していると思うからです。日本文化は、美的感性に非常に依存した文化で、「清浄さ」、「清潔さ」、「端正さ」というようなものが、その根幹にあると思うのですが、今氾濫している落書きのあり様は、そういう日本文化の根幹にある美意識を、積極的に破壊しようとする意図があるように、私には感じられてならないからです。
2つ目は、放置自転車の問題です。これも、かなり前から社会問題になりながら、一向に改善されていません。駅の周辺など、本来置いてはいけない所に、どんどん置いて行く。それを、片付けても片付けても、また置かれる。そこには、明白な社会ルールの無視が、非常に根強く現れているように思えます。
3つ目は、同じ自転車問題でも、暴走自転車の問題です。自転車は、緩やかな坂でも、だんだんスピードがついてくるものですが、それを注意しないで、ぱーっと坂を降りて来る自転車が、私の経験でも結構いるのです。それが、どんどんひどくなってきているように感ぜられます。また、人が歩いている後から自転車で追い越して行く際、あたかも、スロラーム競技のように、人間をピンに見立てて、その間をくねくね走るのを面白がっているようなのが、非常に増えてきました。それで、関心を持って注意していたところ、昨年12月14日の朝日新聞に、上掲げのグラフが載っていました。それの解説記事に、「警察庁が把握した自転車対歩行者の人身事故件数は、98年の661件から02年には、1941件と、4年でほぼ3倍に増えた」とありました。なぜこの時期に急激に増えたのかという説明はなかったのですが、その後に「02年に事故を起こした自転車の運転者のうち40%は13〜22歳で、対する歩行者は65歳以上が全体の3分の1にあたる34%を占めている」とありましたので、やはり、この自転車の事故を起こす主体は、若年層で、それもかなり急激に悪化してきている、という私の持っている印象が、大体当たっていると思ったわけです。
これも、他人に対する気配りとか、配慮とかいう感覚が、急速に無くなってきていることを示すもので、日本には、思いやりの文化、察し合いの文化が、西洋、シナ、朝鮮などに比べれば、はるかに有ったと思うのですが、そういうものが無くなっているのではないかと思います。モラルの低下が顕著に現れている具体例です。
4つ目に、エイズの流行があります。次頁の表は、岩波の『世界』本年1月号に掲載のものですが、HIV感染者というのは、感染している人、エイズ患者というのは、感染している人の中の、エイズの発症者ですが、この表に出ている数は、累積の数ではなくて、その年に新たに発見された人の数です。HIV感染者は2001年、2002年には、600人を超えるレベルになっています。これは、あくまでも発見された人の数で、昨年12月13日付『朝日新聞』記事によると、「厚労省の研究班は、未報告も含めると、毎年3000人の感染者が出ていると推計する」とあります。エイズの問題でもう1つ重要なことは、何故、近年、日本で、再び流行するようになったかということです。先進国の中では、かなり異例らしいのです。これは、若年層の性の乱れが原因です。無分別に性的体験をすることによって、エイズが広がっているというのですから、極めて深刻な問題です。これは、基本的に羞恥心の欠如から来ていると思います。服装の乱れ、特に女学生に、ルーズソックスと超ミニスカートが、広範に流行していますが、なぜこういうふうになってしまったかというと、学校が服装を取り締まれなくなったからです。校則否定運動というのが、20年ぐらい前まえから盛んに行われました。その中心になったのが『朝日新聞』で、この新聞は、長期の連載記事を組んで、校則で服装を縛るのは、人権の侵害であるとか、自由の束縛であるとか、かなり強力なキャンペーンを展開しました。それ以来、学校が服装を取り締まれなくなってしまったのです。超ミニスカートは、はっきり言って、娼婦スタイルです。ヨーロッパ先進国では、こんなものを着用する女学生はいません。日本の特異現象です。それが、性の乱れの一番の温床になっているのではないかと私は確信します。朝日や岩波などの論調をみますと、今はこれだけ中学生ぐらいから、性に対する関心があって、それがもう現実なのだから、具体的な性教育をやらなければならない、というような論じ方をしていますが、朝日・岩波こそこういう状況を生み出したモラルの破壊者なのです。
経済の問題
日本は明らかに経済大国で、国民総生産と国民総所得とは基本的に同じことですが、数字的には、日本は、世界第2位です。但し、アメリカの半分くらいです。国民経済計算年報によりますと、平成13年の、日本の、国民1人当たりの国民総生産は32,851ドルで、中華人民共和国のそれは、1,000ドルを超えたところです。国民1人当たりでは、日本は世界第3位で、第1位はルクセンブルク、第2位はスイスです。1人当たりになると、日本の方がアメリカよりも上なのですが、実態を考えると、いろんなところで依然として貧しさを感ぜざるを得ません。(追記。4月10日刊行された『世界の国一覧表・2004年版』によると、日本はノルエー、アメリカに抜かれて5位に転落しています。)
その1は、日本の財政赤字の膨張です。それは、国と地方の債務残高の対GNP比率が高いということに現れています。これは日本経済が抱えている非常に大きな問題です。上掲の表は、平成16年2月12日付け朝日新聞からの引用ですが、これによると、日本は、その比率が160%を超えています。この表によって、1991年ぐらい、つまり平成3年頃から、財政赤字がぐんぐん一本調子で増えていったことが判ります。他の先進国は、イタリアを除いて、大体、70%ぐらいのところにあり、日本も、1990年から92年ぐらいまでは、その段階にあったのですが、その後、どんどん財政赤字を積重ね、160%を超えることになったのです。
その2は、日本はそういう問題を抱えているのですが、しかし金を使うべきところは、まだまだ沢山あるということです。高齢化社会に向けての、年金問題とか医療費の問題。さらに私が特に申し上げたいのは、欧米先進国に比べ非常に遅れている、安全で便利で美しい住環境の整備です。安全というのは、例えば地震対策ですが、阪神淡路大震災の死者が6000人以上というのは、先進国で、あの程度の地震では、とても恥ずかしいことです。今の科学技術からすれば、あの程度の地震でつぶれない家は、いくらでも出来る筈です。それから、高速道路問題。無駄な高速道路を作っているかもしれないが、本当に必要な高速道路は作っていない。例えば、首都圏の環状道路は、30年以上も前に計画があって、作らなければならなかったのに、美濃部都政で凍結状態になり、石原都知事になってようやく動き出したが、今までなおざりにしていたから、都心にまで大型トラックが入って来て、渋滞が起こり、自動車公害を起こしています。それから、JR中央線の踏み切り問題、満員電車の解消のため小田急線の複々線化問題、美観問題としての電線の地中埋設化、こういうようにお金を使うべきところはいくらでもあるのです。
その3は、その2の問題に関連しますが、公共事業への反対運動。やるべきであるのに、反対運動があると、止まってしまう。そして出来たとしても、巨大な無駄金を使ってしまう。その典型例が、国際空港です。成田は、開港して20年以上になりますが、まだ完成していない。不便な空港だと言われるが、成田新幹線計画、これは空港の地下に駅を作り、東京の方は、東京駅からちょっと有楽町寄りの、今、京葉線の東京駅がある所に、成田新幹線の東京駅を作る計画だったのですが、それがつぶれてしまったのです。関西空港は、成田空港に懲りて、陸から非常に離れた海の深い所を埋め立てて空港を作ったために、地盤沈下が止まらない。建物も特殊な方法で、沈下した部分をまたせりあげるという。非常にお金のかかる空港になっています。
その4は、本来的な無駄遣い、浪費です。不況だと言いながら、例えば、「衣食」のレベルで、かなりの無駄遣いがある。グルメブームなどと言って、食材を世界中から輸入している。それが本当に必要か、というと、必要ではない。食料の自給率は、先進国の中でも驚くほど低くなっています。贅沢な食生活に明け暮れていて、浪費と言っていいわけです。それから、ブランド商品。テレビ東京という日本経済新聞社系統のテレビのニュースで最近言っていたところでは、世界のブランド商品の3割以上は、日本が買っているというのです。さらには、海外旅行。最近の1、2年は、テロやSARSの問題でちょっと減っているらしいのですが、それ以前は、海外旅行だけで、2兆数千億円を毎年使っていたようです。それから、パチンコ。これも、インターネットの情報によると、年30兆円を維持しており、社会経済生産性本部の『レジャー白書2003』によれば、宝くじ、競馬、競輪、競艇、ボートレースなど、ギャンブル市場全体で、約36兆円なんだそうです。その中の30兆円、8割がパチンコなのです。
その5は、経済主権の喪失問題。教科書問題で外国に介入されるということは、結局、教育の主権を喪失しているのですが、その主権を喪失しているというのは、教育だけでなく、経済運営そのものにおいても、日本の主権がかなり喪失してしまっているのではないか、ということです。アメリカのドルが下落しないように支えるために、日本は景気が悪いからと言って、金利を低くしてお金が流通するようにする。また、ドルが下落して円が上がると、日本の輸出に困るからと言ってドル買いをする、そう説明されていますが、どうも、基本的にはアメリカに奉仕するためにそうやっているのではないか、という疑念より確信が私にはあります。それから、中華人民共和国は労働賃金が安いからといって、物作りがどんどん中共の方に行っていますが、このままでは日本の空洞化が進み、ここでも日本の経済的主体性が奪われることになりかねないのではないかと心配です。
命の問題
その1は、食品、薬品の安全性の問題です。最近また話題になっていますことに、狂牛病の問題があります。
この問題に関連して、2年半ぐらい前に雪印食品の問題がありました。狂牛病が発生し、危険だということで、国産の牛肉が買い上げられた際、雪印食品が、外国産の牛肉を国産と偽って政府に買い上げさせ、お金を騙し取ったということです。それで雪印食品はつぶされ、900人の正社員と1000人のパートが職を失いました。しかし同様なことは、他の多くの会社もやっていたのです。
また、日本では、狂牛病そのもので死んだ人はいないのですが、狂牛病「騒ぎ」によって死んだ人が1人います。北海道の釧路保健所の浜田惠子という29歳の女性獣医師で、狂牛病かどうかの鑑定をして「安全だ」と言ったが、後に狂牛病と判って責任を感じ、自殺したのです。2年前の5月12日のことで、この人が、狂牛病の明確な犠牲者です。まだ2年前に狂牛病「騒ぎ」で犠牲者が出ていながら、それを正確に認識しないで、今また牛丼騒ぎを繰り返しています。(追記。今回の鳥インフルエンザ問題で、日本のマスコミはまたしても、浅田農産会長夫妻を自殺に追い込みました。しかしSARSでも鳥インフルエンザでも、根本的な元凶である中共政府の責任は全く追及していません。)
その2は、死刑の問題です。日本で死刑が執行された人の数は、去年が一人、その前が2人、その前が2人というふうに、平成5年からずっと一桁です。その前の3年間はゼロでした。それ以前も、1人とか2人とか3人ぐらいで、昭和51年まで遡って、同年が12人、その前年が17人、と2桁です。本当に僅かしか死刑の執行はされていないのです。
日本では、死刑廃止運動が盛んで、亀井静香氏のような昔の警察官僚までが、死刑廃止を言うようになりました。死刑廃止論者には、非常にナイーブな、情緒的な、人を殺すのはいけないのだ、という感覚があるように思いますが、これは、戦争反対というのと通底する問題で、そのために、死刑が確定しているのに執行されていない人が、どんどん溜まって、現在56人いるそうです。
これを、中華人民共和国について見ますと、秘密主義ですから、はっきりした数字はわかりませんが、アムネスティの報告では、「これまでわかっているだけの数字で」、というような書き方で、千人単位であり、数千人になるかもしれません。しかも、死刑のやり方は、日本のような絞首刑ではなく、基本は大体銃殺刑です。見せしめのために、公開処刑もやっています。ところが、日本で死刑に反対している人が、中華人民共和国のこの無茶苦茶な死刑制度を全くといってよいほど批判しないのです。裁判も、日本のような、厳密なものではないから、冤罪が多数まぎれこんでいる可能性が高いのに、日本の死刑反対論者が何ら批判しないというのは、大きな矛盾で驚くべきことです。
その3は、それでは、日本は、人間の命を極めて大切に考えているかといいますと、実はそうではないのです。それは、日本人の自殺者数に現れております。
日本人の自殺者がどれだけいるかということについては、警察庁が、警察白書で自殺数を発表しており、また、それとは別に、平成14年中における自殺の概要資料というのが、発表されています。それによると、自殺者の数が昭和53年から平成9年まで2万人台であったのが、平成10年に急に8千人増えて3万人台になり、以後この資料で判る平成14年までずっと3万人台を維持しています。では、平成9年2万4391人であった自殺者が、平成10年には3万2863人、なぜそのように増えたのか。これは、前述の国民経済計算年報を見ると判ります。その原因は、経済的な要因、不況にあったのです。この年報で見ますと、日本の国内総生産が、平成7年の5兆3千億ドルから翌8年は4兆7千億ドルに落ち、以後大体4兆ドル台になっておりますが、この平成8年における国民総生産の急激な落ち込みから2年たって、自殺者が3万人台を突破していることが判ります。この国民総生産の減少と自殺者の増加との間には、タイムラグがありますが、明らかに相関関係があります。自殺者増加の原因としては、これしか考えられません。ですから、結局、ここ数年毎年1万人、不況による犠牲者を出しているということになります。その累計数万人は日露戦争の戦死者に匹敵します。これは、明らかに政治の責任です。ところが、日本政府は何もやらない。マスコミもこれを追及しないというのが現状だと思います。この異常を感じないことこそが最大の異常です。
(平成16年2月16日 東京教育懇話会における講演要旨 文責 編集部)