チベット女性を見殺しにする「女性国際戦犯法廷」の非情
 
『正論』平成十三年(二〇〇一)六月号
酒井 信彦
東京大学史料編纂所助教授
 

お座なりのセレモニー

 いわゆる「女性国際戦犯法廷」(正式なフルネームは、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」)なる奇怪な裁判劇が、昨年十二月八日から同十二日迄、東京の九段会館を中心に開催された。この催しについては、すでに本誌その他で何度か取り上げられ、またこの「法廷」を素材にしたNHK教育テレビの放送問題としても論及されている。

 しかしこの裁判劇の本質は、日本人に冤罪をなすり付け、自尊心を奪い去って完璧な精神奴隷に貶めようとする、極めて悪質な反日謀略と言うべきものであり、更に徹底してその不当性・犯罪性を解明して、これを糾弾しなければならない。そこで私は、この裁判劇の非論理性が最も顕著に露呈していると思われる、現在と過去の転倒、現実の無視という問題点を中心に、その欺瞞性をなるべく具体的に論述してみたいと考える。

 さて「女性国際戦犯法廷」でしばしば使われた論理の一つに、「不処罰の連鎖を断つ」と称するものがある。例えば主催団体ヴァウネット・ジャパンのパンフレットには、この「法廷」の目的を、「日本政府に戦争責任・戦後責任をとらせることと、女性に対する戦時性暴力の再発を防ぐことです。今も世界各地で武力紛争が繰り返され、強姦や性奴隷制など、女性や子どもたちに暴力が振るわれ続けています。この『法廷』を通して、女性への戦争犯罪『不処罰』に歯止めをかけ、戦争と女性への暴力をなくそうというわけです」と説明している。

 つまり日本の慰安婦は戦時の性暴力であって、その慰安婦が東京裁判で裁かれ処罰されなかったから、現在も紛争時に強姦などの性暴力が繰り返されるのだという理屈である。したがって現在における性暴力の続発を止めるためには慰安婦問題を裁かなければならないとするのである。この論理は、この「法廷」が開催される必要性の理由付けとして、繰り返し主張された。

 しかしこの論理は、あまりにも牽強付会の論であって、屁理屈にすらなっていない。慰安婦問題が処罰されなかったから、現在も紛争時の性暴力が根絶されないという理屈に関して言えば、「法廷」主催者の主張そのものが、自分自身の展開する論理を、完全に打ち砕いている。そのことはこの「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」の開催が、ユーゴやルアンダの国際法廷の発想を受けて計画されたという事実が、何よりも雄弁に語っているからである。

 すなわち現実の性暴力に関して、すでに国際的な法廷は開催されているのである。したがって性暴力を少しでも無くしたいのなら、現実に生起する性暴力の犯罪に対して、どんどん裁判を行ってゆけば良いのであって、半世紀以上も以前の、しかもとても性暴力とは言えない慰安婦問題を、その為にわざわざ持ち出す必要など全くないのである。

 実は彼らもこの根本的な論理的矛盾について、全く無視するわけにいかず、内部的な議論もあったと思われる。そこで現実無視の欠陥を多少なりともカムフラージュする方策を、考えざるを得なかったようだ。その証拠が「国際公聴会」なるものの存在である。
これは「法廷」の第四日、つまり「判決」の前日の十二月十一日に開催されているが、慰安婦に関する法廷そのものとは一応別個のものである。正式な名称は「現代の紛争下の女性に対する犯罪 国際公聴会」である。「法廷」のパンフレットの説明によると、「東チモール、アフガニスタン、旧ユーゴ、ルワンダなど現在の武力紛争下の女性への暴力の実態について、被害女性(サバイバー)や支援者を招いて証言していただき、今後の対策を検討します」とある。注目すべきことは、この主催者は「ジェンダー正義を求める女性コーカス」というニューヨークに所在する組織であって、ヴァウネット・ジャパンではない。しかし法廷の日程の中に明確に組み込まれているのだから、両者が不可分の関係にあるのは間違いない。

 この公聴会において、十四の国と地域から性暴力の被害者が証言を行った。その国と地域とは、以下の如くである。沖縄、東チモール、グアテマラ、ベトナム、ブルンジ、コソボ、バングラデシュ、チアパス(メキシコ)、アルジェリア、ミャンマー、アフガニスタン、シエラレオネ、コロンビア、パレスチナである。またソマリアなど五つの地域からは、実際の証言ではなく報告書が提出されたと言う。証言者の中には、報復されることを恐れて、舞台上に黒く囲った幕の中で証言した人もいた。

 しかしこの公聴会は、たったの一日で十四もの国と地域の証言を行ったのであるから、極めて簡略なものであり、とても今後の対策など検討できなかったに違いない。そして何よりもただ聴くだけで裁かないのであるから、全くお座なりのセレモニーであると言わざるを得ない。

チベットの状況に無関心な主催者

 さてこの公聴会の内容は、『朝日新聞』(十二月十二日朝刊)や『週刊金曜日』(三四七号)に紹介されているが、それは限られた一部に過ぎない。ところがその内容の全体は、「女性国際戦犯法廷」のホームページに載せられており、また別に冊子としてまとめられている(『現代の紛争下の女性に対する犯罪国際公聴会 証言集』)。そしてこの中には、報告書だけが提出された五つの地域の報告書も含まれている。その五つの地域とは、ソマリア、西サハラ、アゼルバイジャン、韓国、そしてチベットである。

 ここで最も注目されるのは、何と言っても最後のチベットであろう。チベットについての報告書は、亡命チベット人の女性組織でインドのダラムサラにある「チベット女性協会」が、昨年九月二十一日付で作成したものである。報告書といっても長いものではなく、A4判冊子二ページ半程度の簡略なものである。では以下にその内容を紹介しよう。全体は、前文、「はじめに」、「証言」、「まとめ」の四部で構成されている。

 まず前文では、チベットの歴史について説明し、「ヒマラヤ山脈北側の広大なチベット高原には、長い歴史を持つ独立国チベットがあった。歴代のダライ・ラマは政治と宗教(仏教)の指導者であり、チベットの首都ラサにあるポタラ宮はダライ・ラマの居所であった。一九四九年に成立した中華人民共和国は、『チベットは中国の一部である』と主張し、一九五〇年十月にチベットを侵略した。チベット東部を占領した中国は、その軍事的圧力の下、一九五一年にチベットを強制的に併合した」と、独立国チベットを中国が侵略・占領した事実を、明白に述べている。

 さらに「占領以来の中国の圧政により、亡命政府の推計では、六百万人のチベット人のうち百二十万人が命を奪われた。中国はチベット独自の文化も破壊してきた。中国による過酷な人権弾圧は現在も続いている。中国当局は、女性の政治囚に対しては、電気棒を用いた性的拷問を加えることが多く、精神に異常をきたしたり、衰弱の果てに絶命する女性が少なくない」と主張している。

 「はじめに」では、チベット女性協会そのものについて説明している。同協会は最初、一九五九年のラサ決起の際に設立され、一九八四年に亡命女性によって再興された。そして「チベット女性協会の活動内容は、他のNGOと異なる。主な優先課題は、チベット解放の闘いを展開することと、中国占領下のチベットにおけるチベット民衆、特に女性に対する虐待について、広く意識喚起をすることである」と、その目的を明示している。

 ついで本体部分の証言では、チュイン・ギャルツェンという、一人の尼僧の具体例を報告している。彼女は二十六歳当時の一九九四年六月十四日、仲間の尼僧と共にラサで独立要求デモを敢行して、たちまち逮捕された。その後六ヵ月間にわたり尋問され、その度に拷問を受けた。また血も抜き取られた。十一月に裁判が行われ、禁固五年、政治的権利剥奪二年の判決を受けた。刑務所では、「鍛錬」と称する拷問が待っていた。獄中で抗議したり独立を叫んだりすると、残忍な拷問を受け、射殺される者も出た。刑期を終えて出獄したが、栄養失調と拷問で衰弱し、現在も回復していない。二〇〇〇年三月に、亡命を決意してインドに脱出した。

 「まとめ」の部分では、「中国占領下のチベットでは、刑務所に収容されている政治囚のうち、女性は二五%である。一九九九年九月現在、六百七十人の政治囚の存在が知られており、そのうち女性は合計百八十人である。拘禁されている女性の八〇%は尼僧である」。「中国の刑務所におけるチベット人の処遇に関する最近の調査は、拘禁中に死亡する政治囚、あるいは拘禁の結果として死亡する政治囚が増加していることを明らかにしている。ラサ郊外のダプチ刑務所だけをみると、女性の政治囚の死亡率は五%、つまり二十人にひとりの割合だと推計されている」とある。

 そして「チベット問題は大変な危機的段階を迎えている。中国占領下で生きるチベット人、とりわけ女性たちの状況は悲惨であり、国際社会が真剣に考慮しなければならない。チベットの女性たちに関する諸問題について、調査がなされるべきである」とし、「みなさまから全面的なご支援がいただけますよう、希望し祈っています」という言葉で、この報告書は結ばれている。

 ではチベットに関する報告書は、なぜ国際公聴会に提出されたのであろうか。甚だ奇妙に感じられる点である。と言うのは、後に述べるように、今まで日本の左翼勢力は共産国家中国の人権問題に関して、全く不熱心だったからである。ちなみにヴァウネット・ジャパンは、その四つの活動目的の一つに、「沖縄からの基地の撤去」を挙げているほどであるから、当然左翼勢力が浸透している。

 事態の背景はもう一つ良く分からないが、結局こういうことではないかと思われる。つまり公聴会の主催者である「ジェンダー正義を求める女性コーカス」という在米(ニューヨーク)組織が、日本の御家の事情を良く知らぬままに、欧米では人権問題として常識中の常識であるチベット問題を、当然のこととして盛り込んだのではなかろうか。その証拠に、公聴会のことをかなり大きく報道した『朝日新聞』も、『週刊金曜日』も、チベットに関する報告書がだされたことは、全く報道していない。またこの「法廷」に関しては、大小さまざまな各種のメディアが実に大量の記事を載せているが、少なくとも私が見た限りでは、チベットの報告書については全く取り上げられていない。

 さらに「法廷」の主催者が、チベットの状況について無関心であったことは、以下の事実からも証明できるのである。実は「法廷」が開催された十二月上旬の直前である、十月から十一月にかけて、チベット女性の人権状況について証言するに最も適切な証言者が、アムネスティー・インターナショナル日本支部の招きで来日し、日本に滞在していたのである。つまり国際公聴会でチベット問題を本気で取り上げようと考えたなら、その証言者に公聴会で証言してもらえばよかったのである。なおアムネスティー・インターナショナル日本支部は、「女性国際戦犯法廷」の賛同団体の一つである。しかしそれは全然行われなかった。その証言者とは、ケルサン・ペモという尼僧である。

 アムネスティーは、拷問禁止キャンペーンを展開するに当たって、その、メーン・ゲストとして男女二人のチベット人を招聘し、昨年十月中旬から十一月上旬にかけて、単独であるいは二人で、全国二十八個所で証言集会を行った。男がガンデン・タシさん、女がケルサン・ペモさんである。その証言の内容は、『アムネスティー・ニュースレター』十二月号にまとめられている。先の国際公聴会のチベット報告書には、拷問の状況説明が極めて簡略だが、これにはかなり具体的に述べられているので、以下にケルサン・ペモさんの証言を紹介することにしよう(なお彼女の証言は、以前よりインターネットでは紹介されていた)。

凄まじい性的拷問であったのに

 ケルサン・ペモさんは、一九六五年貧しい農家に生まれ、二十歳で尼僧となった。一九八八年五月十七日、ラサの中心地で行われた独立要求デモに参加して逮捕された。二ヵ月後に解放されたが、その間連日にわたって凄まじい拷問を受け続け、解放後の一年間は寝たきりの状態だったと言う。重い後遺症が現在も残っている。九〇年にインドに亡命した。

 次に拷問の具体的な状況の証言を示そう。少し長くなるが大事な部分なので、まとめて引用することにする。
「一日中拷問を受け、飲み物も食べ物もまったく与えられずに過ぎ、夕方の六時になると、尋問者の食事の時間になりました。そのとき、捕まった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられました。顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ、裸にされました。その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていました。そして、大勢の見るなか、警官のひとりが頭を、もうひとりがお尻を棒で殴りつづけました。やがて、あまりの痛さに恥ずかしさも忘れ、私は床を転げまわりました。そしてついに、気絶したのです。気付くと、水をかけられてびしょ濡れになっていました。
再び拷問が始まりました。彼らは、電気棒を口や肛門、女性器に押しこんできました。私はあまりの痛みのひどさに再度気を失いました。尋問者の食事が終わると、再びその部屋から引き出され、拷問を受けました。彼らは棍棒が折れるほど私を殴り、疲れると水を飲んで休み、また拷問を始めました。折れた棍棒の代わりに、椅子やベルトなど、手当たり次第の物で殴りました。やがて、警官の人数は五人に増え、よってたかって私を殴りました。私は意識が遠くなり、これで自分は死ぬのだと思いました。
『はっ』と気がつくと、服はぼろぼろになり、全身血だらけになっていました。噴き出している血をぼろぼろの服でぬぐい、私は独房へ連れて行かれました。それから二、三日の記憶はまったく残っていません。独房でも拷問は続きました。拷問はいろいろあり、尼僧のなかには逆さに吊され、火で炙られた者もいたそうです」

 電気棒というのは、スタンガンのような高圧電流が流れる棒で、本来家畜の管理などに使われるものなのだが、それが拷問道具として利用されているのである。特に女性に対してそれを、口や肛門・性器に突っ込む、まさにセクシャル・ハラスメントの極致と言える拷問のやり方は、少しも珍しいものではなく、中共官憲の常習的手口である。だから先の国際公聴会のチベット報告書の前文にも、「中国当局は、女性の政治囚に対しては、電気棒を用いた性的拷問を加えることが多く」とあったのである。

 ところが日頃から人権派を売り物にしている『朝日新聞』は、このケルサン・ペモさんの衝撃的な証言を、一段見出しのベタ記事としてしか取り上げず(十月十九日朝刊社会面)、証言内容もわずかに四行分、「電気が通じた棒を目、鼻、口に入れる、関節をねじ曲げるなどの拷問を受け、足に障害が残った」とあるだけで、女性に対する凄まじい性的拷問であったことを、故意に隠している。さらに逮捕の原因を、「自治を求めるデモに参加して」と、独立要求デモであった事実を歪曲している。また、「女性国際戦犯法廷」に関して、二回もの大特集を組んだ、岩波書店の月刊誌『世界』には、「アムネスティー通信」という欄が掲載されており、本年一月号でチベット人証言者お二人が取り上げられている。しかしここでも、ペモさんの証言について、「電気棒でショックを与えられ何度も気を失ったという」とあるだけで、性的拷問である事実を、物の見事に隠蔽している。

 このような残虐極まりない拷問が行われれば、当然命を落とす人が出てくる。例えば
シェラップ・ガワンという十四歳の少女の尼僧は、一九九二年二月の独立要求デモに参加して逮捕され、懲役三年の刑を受けた。服役中にチベット愛国歌を歌うなどして抵抗し、激しい拷問を受け、刑期を終えて出獄したが二ヵ月後に死亡した。同じときのデモに参加した十九歳の尼僧プンツォ・ヤンキは、五年の刑を受けて服役中、九四年、拷問によって意識不明に陥り、病院に収容されたが死亡した(アムネスティー・インターナショナル日本支部発行、『チベット・ニュースレター』四号)。

 韓国で歴史上一番有名な女性は、ユ・ガンスン(柳寬順)という人物だが、この少女は日本統治時代の一九一九年、三・一独立運動で逮捕され獄中死したことで知られ、日本に対する抵抗運動の象徴とされている。すなわち韓国のユ・ガンスンに相当する人間は、チベットでは現実に存在するのである。しかし日本では、この事実が殆ど知られていない。ユ・ガンスンは日本の歴史教科書にも取り上げられているから、その時にチベット女性の事実も教えれば、極めて効果的な歴史教育・現実教育になるだろう。

 我々自由チベット協議会は、一昨年十二月「チベット自由と人権の集い」を開催して、『チベット女戦士 アデ』(九九年、総合法令出版)の著者、アデ・タポンツァンさんをインドから招いて、その体験を伺ったことがある。アデさんは、一九三二年チベット東部カム地方(現四川省)の生まれで、「人民解放軍」という名前の侵略軍に対して抵抗運動を行い、五八年に捕らえられて以後二十七年間の獄中生活を生き抜いた女性である。アデさんは、拷問を受けるとともにレイプを受け続けたことを、きっぱりと証言されて、中共軍が強姦する軍隊である事実を証明された。アデさんにしろケルサン・ペモさんにしろ、この世の地獄を生き抜いた真のサバイバー(生存者)というべき方々である。お二人ともその証言振りは、恐ろしいほど穏やかで淡々としており、泣き叫ぶようなことは決してされなかったのが印象的であった。

過去と現在とどちらが大事か

 以上のようなチベットの例から明らかなように、中華人民共和国こそ現実の人権侵害超大国であり、人道に対する罪の一大宝庫なのである。人道に対する罪の定義は、「一般住民に対する殺害、殲滅、奴隷化、強制移送、その他非人道的行為、政治的・人種的または宗教的理由に基づく迫害」であるから、チベットにはものの見事に当てはまる。

 ところで「国際公聴会」で証言された現在の紛争下における人道に対する犯罪は、「非国家主体」によるものが殆どである。例えば沖縄における米軍兵士による強姦事件などである。つまり強姦事件は、アメリカ軍が命令して起こっているわけではない。しかしチベットにおける性的拷問は、中国の官憲、つまり国家権力そのものが行っているのである。偶発的事件ではなく、恒常的な制度であるから、性的拷問制度である。人道に対する犯罪は、国家主体による犯罪であり、したがってその重大性は、他の例とは全く比較にならない。

 では、性的拷問の目的は何なのか。アメリカの女性学者、ノーマ・フィールドさんは、高橋哲哉さんとの対談(『世界』三月号)で、慰安婦に関連させて「『一般的』拷問でも、性暴力が付随する。人格を破壊するには、性暴力が一番手っ取り早い」と言っているが、チベットの場合がまさにこれである。つまり人格を意図的に破壊して、人間を精神から奴隷化しようとするのである。

 もちろん中華人民共和国において、チベット人だけが迫害され、人権を侵害されているわけではない。人口の九〇%以上を占める漢民族(シナ人)も基本的に同じである。そのことは一年間の死刑者数が、数千人に達するという簡単な数字からも容易に想像できる。しかし日本の学者も、報道人も、人権活動家すら中国の人権状況については、驚くほど冷淡である。それらの人々に対しては従来から左翼の影響力が強く、共産主義国家の人権状況については口を閉ざしてきたからである。アムネスティー日本支部もそうだったが、近年やっとその傾向が薄れて、チベット問題を取り上げるようになった。

 しかし世の中の大勢は相変わらずである。旧社会党・現民主党をバックとするアジア人権基金は、文字通りアジアの人権問題を活動対象としながら、アジアの人口三十億の半分近くを占める、中国の人権問題は全くと言って良いほど無視している。社民党と中共政権との異常なまでの「友好関係」のためであろう。

 一九九五年の北京女性会議において、亡命チベット人女性がチベットにおける迫害状況を紹介し、世界に伝えて欲しいと強く訴えた。しかしこの会議に外国人として最大の人数、五千人が参加した、女性問題に関心が深いはずの日本の女性たちは、このチベット人女性の声を冷淡に無視した。たまたま会議に参加して、初めてチベット問題を知ってショックを受けたある日本女性が、チベット人の声を日本で伝えようとして、周囲の妨害に遭って苦しんだ事実を私は知っている。「女性国際戦犯法廷」の主催者、ヴァウネット・ジャパンの代表である松井やよりさんは、この会議に深く関与されていたはずである。

 そもそも松井さんは朝日新聞社会部記者の出身で、「アジアの女たちの会」「アジア女性資料センター」などを主宰されて、長年アジアの女性問題に取り組んで来た方であるが、アジアの女性の半分近くを占める中国の女性問題には、どれだけ積極的に取り組んでおられるのであろうか。松井さんがチベットの実情を御存じないかと言えば、そんなことはまず考えられない。と言うのは、我々はチベット人権擁護国際キャンペーン/自由チベット協議会として、一九九五年以来チベットに関するニュースレター『チベット・ニュース・ダイジェスト』を発行して、現在四十六号まで出しているが、松井さんと、同じくヴァウネット・ジャパンの幹部である内海愛子さんのお二人には、創刊号からずっと送付させていただいているからである。

 主催者ヴァウネット・ジャパン側の人々は、今回の「法廷」に関しても、例の元ドイツ大統領ヴァイツゼッカーの有名な言葉「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目となる」を頻りに引用して、その「法廷」に賛同しない人々を、居丈高に攻撃している。しかしこの言葉は、彼らにこそ突き付けられているのであることを、彼らは、全然分かっていない。ヴァイツゼッカーの言葉を逆から言えば、「現在に目を閉ざす者は、過去にも盲目である」となる。過去と現在とどちらが大事かと言えば、現在が大事に決まっている。したがってヴァイツゼッカーの言い方よりも、このほうが比較にならぬほど真実性がある。現在の事実すなわち現実に対してひたすら目を閉ざしている彼らに、そもそも過去を直視できるわけがないのである。彼らは現在も過去も共に直視していないから、本当の意味で歴史を反省することなど、全く不可能であると断言できる。

 半世紀以上も前の、しかも性暴力ではなく、従って人道に対する犯罪でもない慰安婦問題の糾弾が行われている間にも、現実の世界では毎日毎日、人道に対する犯罪は繰り返し起こっている。しかも我々の目の前の中華人民共和国では、国家権力そのものによって、極めて大規模な形で、人道に対する犯罪が行われ続けているのである。チベットの国土が、中共軍に侵略されているという事実をそのまま反映して、チベット女性の体が侵害され続けている。チベットの女性たちは、世界に向かって早く助けてくれと、懸命に叫んでいる。

 しかし「法廷」の主催者たちは、それを冷酷に見殺しにしているのだ。つまり彼らは、人道に対する罪を犯し続ける、中国国家権力の、極めて有力な共犯者であると言わなければならない。また慰安婦問題を口実に、日本に人道に対する罪の濡れ衣を着せ、冤罪に陥れようとしていることこそ、人道に悖る行為であり、人道に対する罪ではないのか。すなわち人道に対する大罪を犯しているのは自分自身なのだ。

 それにしても、「国際公聴会」に中国のチベット侵略を明確に言及した、チベット亡命政府側の報告書が提出されたという事実は、極めて重要だと言わなければならない。「女性国際戦犯法廷」の主催者、個人的賛同者、賛同団体の人々、それにこの「法廷」を賞賛した朝日新聞・岩波書店などマスコミは、もうチベット問題を無視しそれから逃げ回ることはできない。今こそその歪んだ情熱と膨大な資金力を、正義のために投入して、チベット問題に真剣に取り組むべきなのだ。それが今まで犯して来た大罪に対する、せめてもの罪滅ぼしである。それともこの期に及んでもなお、見殺しによる共犯の罪を重ね続けるつもりなのか。

 

酒井信彦氏 昭和十八年(一九四三年)、神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業
同大学大学院人文科学研究科修士課程修了。同大学資料編纂所入所。『大日本資料』
大十・十一編の編纂に従事、現在に至る。
専攻は日本の中・近世における朝廷の儀礼、とくに年中行事。現実の世界の動向に
関心があり、自由チベット協議会・チベット問題を考える会代表。

 
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