後がない一国の興亡周期60年

平成18年7月26日
  顧問  佐藤博志

先ず以って「主権回復を目指す会」の発足を心からお祝い申し上げる。

 さて昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効して、我が国が主権を回復し得た筈の日から既に五十余年の歳月が流れた。だが我が国の主権は何処にありや。

  軍事的には米国の保護領であり、精神的には中共独裁政府の属国となりつつあるこの惨状を齎した所以のものは何か。勝者の敗者に対する単なる復讐裁判に過ぎなかった国際法無視の東京裁判の諸判決を受諾し戦争状態を終結させた措置は敗戦国としては止むを得ざることであった。然しながら、戦前の日本の伝統・文化を全否定し、且つ戦時中の交戦法規違反行為はすべて日本軍の為せる悪業として、今尚国際的指弾の手を緩めない根源となっている所謂「東京裁判史観」に汚染され、自らその呪縛を解きほどこうとしない、政官財及び学会・知識的文化人の指導層とそれを扇動する偏向マスコミの横行を許した国民の道徳的堕落を深刻にここで反省しなければならない。

 歴史家の中に一国の興亡の周期は六十年とする説が有力である。とすれば、後長くても我々に残された祖国再生のために粉骨砕身する時間は五、六年しかない。一刻も早く実践的行動を本格化させなければならない。我が陣営に属する大組織も色々あり、又警世の論説を張る学者・知識人の数多くの論文も洛陽の紙価を高めており、喜ばしい傾向ではあるが、今我が国に求められているものは、言論ではなく実践行動である。日本の近代国家の仲間入りの切っ掛けを作った明治維新の志士は、数え上げても10氏に満たないのではないか。勿論ある程度の要員は確保せざるを得ないが、要は活動の質と頻度である。

  時恰も日本の運命を左右する小泉内閣の後継内閣の誕生を二ヵ月後に控えている。その先駆をなすものが、この八月十五日の小泉総理の靖国神社公式参拝の公約の実現である。つい最近中共工作の奸策と断定できる「富田メモ」事件が発生したが、所謂「A級戦犯」の合祀と先帝陛下の昭和五十年十一月以降の御親拝中止とは直接的には何等の因果関係もない。昭和五十年の八月十五日に三木首相が終戦記念日に戦後初めて靖国神社に参拝し、私的参拝などと称し、その後不毛の公的か私的か等の論議の種を播き、それが陛下の御親拝にも影響を及ぼし国会でも取り上げられたので、宮内庁が政治問題化に配慮した結果が事の真相である。その意味でも小泉総理は、「富田メモ」と自分の参拝は心の問題なので関係ないと参拝の意志に変わりないことを言明したした通り八月十五日には是非参拝して頂きたい。私は小泉総理は必ず八月十五日参拝の公約を果たされるものと信じて疑わない。そして又そのことが、中共独裁政府の不当な内政干渉を封殺する唯一の手段である。

 靖国神社に神鎮まります250万御柱の英霊も小泉首相に天助のお力を与え賜り、その有終の美をお祝い下さることと拝察する。

 靖国問題が解決すれば、私も自由奔放に諸兄とともに、理不尽な中国の反日政策・行動、特に在日反日日本人退治に老骨に鞭打つ所存、各位のご指導ご鞭撻をお願いして結びとする。