奥山篤信

日本の似非保守知識人の群れ【蘇れ美しい日本】(2007年12月8日 NO.149号)から

平成19年12月9日

12月4日産経新聞の正論コラムを読んだ。阿川尚之慶應大学教授の論文である。
同氏は駐米公使という要職で、官費でアメリカ生活を堪能しながら、後日談として自分は外交官に向いてなかったと平気で公言する人物である。
いやしくも官費を使った人間が、本心であっても、公には言うべきことではない。そして英国連邦に一員として(女王陛下を仰ぐ)などとの戯言を真顔でいう。苦労知らずの坊ちゃんは平気で非常識なことを公でいう、これも特権意識の深層心理かもしれない。

父親は海軍至上主義の弘之であり、海軍弁護に徹し、山本や米内や井上など、実質の戦争敗戦責任者を臆面もなく賛美して、陸軍を貶めてきた戦後の典型的海軍善玉陸軍悪玉の御用論者である。
日本ほど主体性のない外交政策を行っている国はない。いや主権など無いに等しい。保守の人々はサヨクを指してチャイナの代弁者という。ならばアメリカの代弁者であれば、それは保守といえるのか?これこそ保守と言われる世界に蔓
延している似非保守主義者である。

今日に至るまで歴代日本政府がアメリカに対して何も言わず、何も主張しない状況は、日本政府がチャイナ政府に何も言えないのと全く同じ卑屈な外交態度である。それどころか「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要
望書」(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative)という形で日本の内政にわがもの顔で干渉しているのはアメリカであることは、関岡英之が『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』指摘しているところである。それなのに、驚いたことに阿川氏によれば、こんな状態でも日本がアメリカにおねだりをするがごとく言いたい放題言っているのだという。それはまさに「そして貯金がやがて底をつく。」そうである。

阿川氏という人物はアメリカの代弁者というよりアメリカそのものかもしれない。阿川 氏の定義するところの一極主義の意味は不明だが、我が国が一極主義だとのたまうのである。そしてアメリカは一極主義でもなんとかやれるが、日本は全く不可能だという単純な事実が、一つの違いだそうだ。この決めつけと最初から投げ出すような諦観を見ると、全く日本の主権や自主性など阿川氏の頭になく、欧米一辺倒思想でアメリカや英連邦にクリンチしてまでも日本の安全を守ってもらおうという、名誉も恥もない外交こそが日本がとるべき姿だと言っているに等しい。

学者ともあろうものが、このような状況に日本があるとすれば、そこで日本の立場をいかにすれば外交的に強い立場としうるかを問いかけるのが、とるべき態度ではないのか?地政学上アメリカが何を無理難題言おうと、服従するのが日本の立場と言いたいのか?

阿川氏がいうには戦前、日本の自主外交を唱えて、かかる路線を一度試みて見事に失敗したそうだ。大東亜戦争の歴史的認識にしても阿川氏は、ここで自分自身が戦後自虐史観であること、自らの馬脚を露呈したのである。
阿川氏よ、日本はアメリカの属国としての地位を甘んじることこそ日本のあり方だというのか?もちろん我々真性保守主義者は、アメリカとの同盟強化が日本にとり不可欠であり、決して東アジア共同体などの盲想に対して賛成しているのではない。しかし阿川氏のいう「東アジアで生き残るためには、アメリカとの同盟維持・強化が必須である。無論近隣諸国との友好は大事だが、彼らは日本を守ってくれない。国連も同じだ。」のは、アメリカのやることにはすべて賛同し、要求にはすべて答えるのが日本の道であると阿川氏は言っているのにすぎないのである。これではアメリカに体も心も奉げる「なんとか」根性以外のないものでもない。

このなさけない阿川氏の「なんとか」根性は最後のくだりにも顕著である。ねつ造された慰安婦に関する対日非難決議をするアメリカ!拉致の問題を置き去りにして北朝鮮をテロ国家からはずそうとするアメリカ!一体何が悲しくてこのようなアメリカについて下記のごとく叫ぶのか?まるで旦那に切られそうになった「なんとか」の泣きごとを聴くようである。

「国連の決議とアメリカの意見が対立しておき、自国の判断を国連の意志に委ねるよう な国を、アメリカは本気で守るであろうか。」「これまで日本はアメリカの一極主義を散々非難してきたけれど、自国の一国主義の害にもう少し敏感であってもいい。」

このような対米追随論を掲載する新聞がアメリカのエージェントとすれば、チャイナのエージェントである某新聞とその卑屈さに関して同じレヴェルであると思い知るがよい!

奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て平成12年退社 
平河総合戦略研究所代表理事