「永遠の“危機”に浸る陶酔から目覚めよ!」
<大和魂とは国難を前に燃焼する民族意識だ>
この国が滅ぶ原因は大和魂を喪失した闘わない日本人にこそある

平成21年1月10日
主権回復を目指す会代表 西村修平
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【国家を支える究極は国軍】
 国家権力の形態は行政組織など多々あるが、その最高の形態を凝縮した組織とは軍隊である。「国家は暴力装置である」(レーニン)又は「鉄砲から政権が生まれる」(毛沢東)などは政権(国家権力)を支える究極は鉄砲という暴力(武力)、つまり軍隊を指している。

 我が国でいえば軍隊とは自衛隊であるのは言うまでもない。この力の支えをなくして国家は成立しないことを指している。

 議会制民主主義が機能を喪失し、いわゆる国家体制が体を為さない状態において、最終的に国民の生命・財産・安全、国家の名誉を死守するのは国会議員でもなく行政組織の警察権力でもなく国軍という自衛隊以外にない。自衛隊を機能不全に陥らせば国家は消滅する。

 軍事行動の際、出動する陸海空で構成される自衛隊の要は空である。空を制圧すれば全てを制圧できる。この度、田母神俊雄航空幕僚長が更迭された件は国家を死守すべき最後の実質的砦である自衛隊が解体されたということである。その手始めが航空自衛隊であり、日頃からの言動が目についていた田母神俊雄航空幕僚長だったのである。

 斎藤隆統合幕僚長は田母神空幕長更迭にあからさまな迎合を示した。統合幕僚学校の講師を「新しい歴史教科書をつくる会」関係者が担当し、バランスに欠けているとして「講師の選定、内容をどうするか検討しなければならない」と述べ、これまでの歴史・国家観の教育内容の見直しを明らかにした。つまりバランスを図るための口実で、自衛隊幹部に自虐史観の注入を宣言したのである。国家権力の中枢を自虐史観が席巻している証であり、国軍としての自衛隊はこれでその精神を抹殺されたのである。

 田母神空幕長の更迭問題と並行して、国籍法案が衆参両院ともほぼ全会一致で国会を通った。保守を標榜する議員も体を張った抵抗を示すこともなかったし、保守派を含む右側陣営は相変わらず書斎に閉じこもり、街頭へ飛び出して反対の意思表示すらも出来なかった。国家の構成員たる資格が無惨に投げ売りされ、保守派が抵抗できなかったのである。

 これらの経緯から、人権擁護法案や外国人地方参政権の法案が国会に上程されれば、国籍法案同様に速やかに可決されることとなった。まさしく国家消滅の無条件降伏といっていい惨状である。


【大和魂とは民族意識の燃焼だ】
 この期に及んで保守陣営には未だ危機を叫ぶ声が蔓延しているが、危機の段階は疾うに過ぎ去り、我々がイメージしていた日本はすでに終わったのである。終わったというのは、新しい価値観に基づく国家体制が形成されつつあることをいう。

 国家といえどもこれを構成するのは人間である。その人間が変質すれば人間で構成される国家が変質するのは自然の成り行きである。

 その変質とは日本人が民族としての本能的な怒りを表現できなくなったことに尽きる。国籍法案、人権擁護法案で、外国人参政権で日本が滅ぶのではない。民主党を中心とした連立政権が日本を滅ぼすのでもない。日本民族を消滅させる幾多の法案に本能的怒りを表現できない日本人がこの国を滅ぼすのである。

 文永、弘安の二度に亘る蒙古襲来時、元と高麗軍は上陸占領地点に野営するのではなく、夜間は海上に宿営した。これは死傷おびただしく劣勢におかれた鎌倉武士だったが決して怯まず、執拗なまでの野戦を継続、彼らに甚大な損害を与え続けていたからだ。従って元と高麗軍は、夜間は海上に釘付けにされていた。そうした状況のなかで、元・高麗軍は強風という神風に遭遇して壊滅したのが真相である。

 「天は自ら助くる者を助く」、神風が日本を救ったのではなく、鎌倉武士の不屈の戦いがあったからこそ神風は日本に味方した。不屈というのは外敵の侵略を前に、民族としての意識を燃焼する大和魂である。

 しきりに神風やDNAとかを持ち出しては未来永劫の安泰に酔い痴れる保守派だが、これは単なる主観的願望に過ぎない。闘う意志を喪失し、書斎に閉じこもる日本人であれば、吹く風は只の風であって神風とはなり得ない。いかに優れた遺伝子だろうが大和魂を失えば只の風と同様である。

 今の我々に致命的に且つ根本的に欠けているのは情報の有無とか知識の含蓄ではない。鎌倉武士が外敵に示したところの大和魂である。

 危機は永遠に持続するものではなく、民族意識と大和魂を復活させなければ国家は消滅という終局を迎える。125代の天皇を戴く日本とて、民族興亡の世界史から見れば例外ではない。永遠の“危機”に浸る陶酔から目覚めなければ行くつく先は国家の消滅である。憂国の情に浸る永遠の“危機”に終止符を打とうではないか。


【喫緊の課題とは大和魂の再生・復活】
 イメージする日本が終わった現実を直視・受け入れることは敗北主義でも悲観主義でもない。自らの力量と置かれている状況を客観的に認識できてこそ、有効な戦略・戦術を編み出すことが出来る。

 明治維新において主役を演じた下級武士集団とは、鎌倉武士が示した大和魂の動乱期における再現だった。<『語る』運動から『行動する』運動へ>とは、彼ら下級武士集団の精神を今日的課題で実践することを指す。明治維新は道理の正しさを堅持し立ち上がった少数が、巨大な権力を変革・打倒した。変革の原動力は、少数の正しき道理であって見かけの数ではない。これは歴史の法則である。

 民族意識としての大和魂を如何に再生・復活させていくか、これこそが我々に課せられた喫緊の課題であるが、書斎のなかでこの課題は克服できない。明治維新を始め幾多の社会変革は前進あり、後退ありの紆余曲折を経て成就するのがならいである。

 社会科学(運動)も自然科学同様、掲げた命題を証明するのは書斎論議ではなく、実践(実験)という行動でもってしかそれを証明できない。<『語る』運動から『行動する』運動へ>の理念を実践でもって検証し、実践を継続することで我々をも共に鍛え上げていくのである。それを検証し、鍛え上げる場はまさしく国家動乱期の今現在をおいて他にない。