「酔い痴れる(よいしれる)」とは、良くできた本質を突く日本語である。
確かに、これだけ「日本賛美のフルコース」を並べ立てられれば、「保守」は嬉々として酔い痴れるであろう。彼らには「痴」の文字こそが相応しい。
4月27日に開かれた「大震災復興支援『正論』講演会」(産経新聞社主催)における櫻井よしこ女史の講演の書き起こしを拝読した。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/trd11042723000025-n1.htm
ここから見て取れるものは、まさしく今般の大震災によって浮き彫りになった「保守」の欺瞞、まやかし、ごまかしに他ならない。
櫻井女史の誤謬として、以下の3点を挙げることができる。
【1.盲目的な日本人賛美】
女史曰く、大震災を通じて見えてきた日本人の姿は、この上なく立派であり、絶望してもおかしくない中で、沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿を見せてくれた、とのことである。
果たして、そうであろうか?
被災地で横行した数々の姑息な「火事場泥棒」「コソ泥」、人々の善意に付け込んだ悪質な募金詐欺、自分さえ助かれば後はどうでも良いと言わんばかりの身勝手な買い占め騒動・・・これらの一体どこが「沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿」なのだろうか?
人の不幸に付け込む輩は何処の国にも存在する。「火事場泥棒」なる言葉は歴とした日本語ではないのか。日本人が他の外国人に比べて格段に優れているわけではないのだ。
海外メディアがいかに日本を「絶賛」しようともそれは勝手であるが、日本人自身がそれに酔い痴れている場合でないことだけは確かである。
【2.盲目的な自衛隊賛美】
女史曰く、菅首相は自衛隊に「感謝する」と言ったが、それだけでは足りず、さらなる栄誉を与えなければならない、とのことである。
現場の最前線で、自衛隊の人たちが誠実に任務を果たしてくれているというのは、確かにその通りだろう。我々日本国民一人一人が内心で彼らに感謝の心を持つことには何の異論も無い。
しかし、他でもない産経新聞の報道によってもたらされた自衛隊の姿とは、以下のようなものであった。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm
災害とは、すなわち「戦争」であり、被災地とは、すなわち「戦場」である。
戦場で戦う兵士にとって、遺体の収容とは避けて通れない任務であり、車座で痛みを共有しなければそれを遂行できないほどの脆弱なメンタリティーであれば、我々はそこにプロ集団としての矜持を見出すことができず、「国軍」の称号を与えることなど到底できはしない。
過酷な言い方に聞こえるかもしれないが、遺体の収容に従事した自衛隊員は、プロとして当然の職務を遂行したまでのことであり、それ自体が特別な賞賛に値するわけではない。
さらに忘れてはならない“事件”があった。
自衛隊が逃げた!深夜の避難所で大パニック起きていた。
【政治・経済】2011年3月17日(日刊ゲンダイ)
http://gendai.net/articles/view/syakai/129464
14日の深夜。町全体が壊滅状態の福島県南相馬市の石神第一小学校の体育館には、津波から逃れてきた1000人もの住民が避難していた。燃料もなく体を寄せ合って眠っている中、突然、自衛隊がジープで乗りつけ、避難住民に向けて大声で叫んだ。
「私たちは上(北沢防衛相)の命令で退避するように命じられたので南相馬市から引き揚げます。これは私見ですが、福島原発は非常に危険な状況にきていると思います」
そう言うやいなや、隊員たちはジープに乗って去って行ってしまった。館内は騒然となり、避難住民は出口に殺到。止めてあったマイカーに分乗し、大急ぎで福島市方面に逃げ出した。おかげで県道12号は大渋滞。ところがクルマは、規制の影響でガソリンが5〜10リットルしか入っていないからたまらない。みんな最初の峠あたりで次々とエンストしてしまった。
この一部始終を目撃したのが、救援物資の運搬のために、第一小学校のグラウンドに止めた車の中で仮眠していたボランティアグループ「Gライズ日本」の夏井辰徳代表だ。
「1000人が悲鳴を上げる大パニックでした。自衛隊が住民より先に逃げるなんて聞いたことがない。市役所の職員は『屋内避難の指示が来ているので体育館から動かないように』と言っているのに、自衛隊には『危険だから退避せよ』と命令が下りてくる。(略)
未だこの記事は訂正が為されていない。「自衛隊が住民より先に逃げる」、この現実を櫻井女史はどう解釈するのか。
我々は自衛隊を否定または揶揄などしない。ご都合主義の礼賛に警告を発するのである。
【3.盲目的な原発賛美】
女史曰く、日本の原発技術は素晴らしいものであり、原発事故は技術の失敗というよりも、東電と菅直人民主党政権による人災だ、とのことである。
原発事故を通じて明らかになったことは、炉心熱や放射能、放射能汚染水に太刀打ちできず、原発をシステム全体として「使いこなす『能力』が日本という国家には無い」冷酷な現実であった。
使いこなす=管理運用能力を含めて「技術」と呼べるのである。
女史は、何を以って「日本の原発技術は素晴らしい」と仰っているのであろうか?
ぜひ、具体的な事実を挙げて、その道理を説いて頂きたいものである。
また、東電と民主党政権だけに責任の全てがあるかのように述べている論法も実に「保守」らしい。きっと、これを聞く側の「保守」の溜飲が大いに下がるからであろう。
人災である側面を否定するつもりは無いが、その責任は原子力安全・保安院および原子力安全委員会等の官僚機構をはじめとする国家全体に及ぶ。
また、利権構造、癒着構造に浸りながら強引に原子力政策を推し進めてきた元凶は、言うまでも無く歴代の自民党政権である。過去の自民党政権下における失政への批判があってこそ、現在の民主党政権への批判が成立するのであり、前者を意図的に怠っているのであれば、それは片手落ち以外の何ものでもない。
「愛国」に名を借りた盲目的な賛美は、ある意味、とても楽である。
だが、そうではなく、目を背けたくなる現実を直視し、自戒し、警鐘を鳴らすことにこそ意義がある。それが真の愛国であると我々は考えている。
ゆえに、上記3点に関して、我々は敢えて建設的な批判を展開してきたのだ。
「教条主義」という言葉がある。辞書を引くと「状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度」とある。
我々「行動する運動」の使命とは、この「教条主義」を打破することにある。
日本を貶めることだけを目的とした「教条主義的反日左翼」、日本を賛美するだけの「教条主義的保守派」、自らの意に沿わぬものに「反日左翼」のレッテルを貼る「教条主義的保守運動」など、主権回復を目指す会はこれらと一線を画するのである。 |