「警察官の手本」という不可解
−鉄道自殺は犯罪である−

平成19年2月14日
主権回復を目指す会 西村修平
東京都千代田区西神田1−1−2
パトリス26−502
(注:住所は発表当時のものとなっております)

 自殺を図る女性を助けようとして電車にはねられ死亡した警察官に、「『警察官の手本』逝く」(朝日)、「勇気と正義 永遠に」(産経)等々、その死を悼む声と共に「警察官の手本」とした賛辞が一斉に送られている。

 職務中の警察官の死と、そのご親族に対し哀悼の意を表する。その前提においてだが、この度の「殉職」を死という感情から離れた客観的立場から考えたい。

 この女性は「踏切の中に自殺を図ろうとして立ち入っている」との通報で、殉職警察官が彼女を一旦は踏切から引き出し、交番に連れてきている。その直後、交番から飛び出して再び線路に立ち入っている。

 視点を変えれば、この女性は「自殺」でもって鉄道線路に進入し、列車の運行を妨害した「往来危険容疑」(刑法第124条、125条)によって逮捕されていたのである。交番へは、連れて来られたのではなく「連行」されたのである。その拘束中の「容疑者」が交番を逃げ出し、「往来を妨害する罪」を実行したのである。この「犯罪」による事故でラッシュの最中、東武東上線は上下線が約2時間ストップし、約6万5千人に迷惑を及ぼした。

 「興奮してもがく女性を懸命に押さえ、近づいて来た電車に向かい『止まってくれ』と叫びながら手を振っていた」(毎日)というが、警察官は女性が交番を逃げ出した直後に、説得ではなく手錠で身柄を拘束するべきであったのだ。向かってくる電車に「止まってくれ」との叫びが単なる悲鳴だったのか、それとも祈りだったかは知る術がない。

 マスコミがしきりに強調する人命救助という情緒でもって、警察官本来の任務を見失ってはいけない。「職責を全うした宮本巡査部長は、署員の誇りだ」(板橋署長)とのマスコミ向けのリップサービスはそれとして、精神病患者の女性の命と引き替えに果たした殉職は、まさしく「無念の死」(同署長)以外の何ものでもないだろう。

高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)がある。

これは昭和44年、20歳で貨物列車に飛び込み自殺した女子大生の遺稿集だが、今もロングセラーを続けている。そのため社会的注目を浴びた自殺事件だが、この貨物列車の運転士の精神的ダメージが如何なるものか我々には知りようがない。出版で彼女の名がヒロイン的存在として定着しているが、「被害」に遭った運転士から見れば欺瞞としか言いようがない。

 今回の事件もそうだが、近年のおびただしい飛び込み自殺は、交通妨害という重大な混乱を社会に与えている。同時に、事件に遭遇しなければならなかった多くの「被害者」としての運転士がいることだ。彼らが受ける精神的後遺症の方こそ、決して無視してはならないのである。

 鉄道員の父を少年の目を通して描いた名作に、イタリア映画の代表作『鉄道員』がある。貨物列車を運転していて飛び込み自殺された父親の苦悩と悲劇が、余すことなく描かれており感銘と共に衝撃を受ける。

 我々は「勇気と正義」の警察官の陰で、深刻な精神的被害を受けた東武鉄道運転士の存在を忘れてはならない。そして、この運転士の精神的立ち直りを心から祈るものである