平成18年12月20日   【困った旗頭】
 

週刊新潮 12/28号 146頁に帝京大学・高山正之氏の「困った旗頭」という記事があり、以下その要約です。

''1941年10月、英植民地ビルマのウ・ソー首相は、ロンドンにチャーチルを訪ね「ビルマの独立を約束してくれるならビルマ人兵士をドイツ軍と戦わせる」と申し入れるが、チャーチルは彼には会わない。
失意の彼は、米国にルーズベルトを訪ねるが、彼の期待はやはり裏切られ、帰路パンナムでハワイまで来たところで、日本軍の空襲を見ることになる。

ハワイより先は戦争状態なので彼は逆回りでリスボンに出る。そこで彼は日本大使館に行き、千葉公使に会う。大使は42年1月1日付けの電文で「ビルマの首相が極秘に訪れて、ビルマに満州国と同じ地位を与えて欲しい。そうすれば日本に協力して英国を駆逐する。
日本が必要な資源は悉く提供する」と会談内容を報告する。

ところが彼は1月12日、英領パレスチナに着いたところで英国情報部に反逆罪で逮捕される。英国はビルマ首相逮捕の事実を公表しない。日本側に暗号が米軍に解読されたことを知られないためだ。チャーチルから逮捕の知らせを受けたルーズベルトは「私はビルマ人が嫌いです。どうか一味を捕まえて処刑して下さい」と返信した。

ウ・ソーが感動した真珠湾攻撃から65年目、産経新聞は「真珠湾への道」と題して上坂冬子さんらの思いを載せていた。
いい文が多い中で、どうかと思うのが五百旗頭真氏の一文だ。

この人は世界がまったく見えていない。「三国同盟は無法者の結団式だ」と後知恵で決め付ける。正義の米国が悪い日本をやっつけたという型にはめ込む。
真珠湾をルーズベルトが知っていたという主張にも「実証したものはない」ときた。誰がハイ、知っていましたと言うか。

だからウ・ソーの逮捕劇が意味を持ってくる。それが彼には分からない。いい加減を言うのは人様の勝手かもしれない。
ただ問題はこんな人が防衛大学校の校長をやっているということだ。
校長に相応しいかどうか、本人も考えてほしい。''

 

また下記は同様に五百旗頭の発言を許すなと大阪府立盲学校教諭・南木隆治氏が国民新聞(10月25日)に投稿した一文です。

 自由と民主主義を標榜する国家にあっては、個人の思想信条の表明の自由も又最大限尊重されなければならないことは自明の出ある。しかしながらその個人が公務員であり、その意見の表明が公的なものであった場合は、全体の奉仕者としてその発言が適切であるかどうかが常に検証されなければならない。
小泉内閣メールマガジンに現在も掲載中の五百旗頭真防衛大学校長の発言にこうある。
「たとえぼ靖国参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、日本が営々として築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」、「これら積み立てられた信用という対外資産は、小東首相が靖国参拝にこだわったことによって、大きく損なわれた」。
防衛大学校長のこのような見解が公的ホームページに掲載されているだけで、既に目も眩むような国家的危機が露呈していると言わねばばならない。防衛大学校校長という地位は、戦争と平和を研究し続ける努力を常に示し、我が国の国防の要となる幹部自衛官候補生全員がその人格と行為を範とするべき存在である事は誰が考えても自明である。
惹起している事態は、武装集団である自衛隊の一部がその最高指揮官である内閣総理大臣の政治行為に対して正面切って異議を申し立てている事である。これは日本にその法律が無いだけで、本来なら国家反逆罪が適用されてもおかしくないような事態である。丸腰の市民が言っているのではない。武装集団の幹部候補生を指導する立場の人間の発言である。国によっては逮捕、投獄もあり得る程のことを、それだけの覚悟で発言しているのならまだしも、もつと軽い意識からの発言であるとしか思えず、国を憂えざるを得ない。
あり得ベからざろ事態に、小泉首相が五百旗頭氏ならそのような静かな発言もするであろうと読みきって、国民の怒りと、自覚を目覚めさせるために手の込んだ仕掛けを作ったのかと思いたいほどである。
五百旗頭氏は文章内の他の部分で小泉首相の業績を高く評価していると弁護する人がいるかも知れないが、国防の要に関わる政策に関して異議申し立てをした以上、その罪を逃れる事はできない。
少しでも戦後自虐史観の洗脳が解けた人なら、アジア二十一カ国中、チャイナ共産党と韓国の二カ国だけしか言わないことを「アジア諸国が小泉首相の靖国参拝に反対している」と主張する五百旗頭氏の発言に首を傾げるであろう。この二カ国を以てアジア全体とすり替える許術は日教組をはじめとする戦後左翼が一貫して行ってきた「犯罪」であり、私は地歴・公民を担当する教育公務員としてこれを許すことはできない。
五百旗頭氏は歴史や、人間の真実を伝えるベき教育者としてもまったく不適切な人物である。公務員の行為は民間に監視して頂かねば正しくならないという昨今の風潮は、公務員である私には大変情けなく感じられる。
本来公務員の不正は、それを見つけた公務員がその者を「叩き斬る」こと(告発)によって成就されるべきなのではないか。幕末の公務員(武士)はそうしたではないか。先輩たちにできたことが、どうして我々にできないはずがあろうか。そう私は思わずにいられない。
私が本紙に拙文を掲載させていただくに当たって、五百旗頭氏を批判するのもその観点からである。
私は今大阪府教育委員会幹部の腐敗を糾弾する訴訟を起こしているが、我が国全土に亙って、公務員が公務員の不正を徹底して暴き出す事を国民の皆様が賞讃し、支援してくだされば、それが我が国の新たな清新な気風となり、公務員の自覚とブライドを育て、我が国の繁栄と、国民の幸福に繋がると思う次第である。

 
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