平成20年12月6日 OBが直言!防衛大を蝕む五百旗頭イズムの大罪(正論平成21年1月号)
 
濱口 和久
 

拝啓 第八代防大校長五百旗頭真様

  防衛大学校の卒業生の一人として、あなたに申し上げたいことがあり、一筆呈上致します。

あなたの身分も自衛隊員です

 あなたがお書きになった毎日新聞十一月九日付のコラム「時代の風」を拝読しました。そこには、「我が国が侵略国家だったなどというのはまさに濡れ衣だ」とする論文を公表した田母神俊雄航空幕僚長を批判し、こう書かれています。

 「個人の思想信条の自由と、職責に伴う義務とは別問題である。軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動することは、軍人が社会における実力の最終的保有者であるだけに、きわめて危険である。(中略) このたびの即日の更迭はシビリアンコントロールを貫徹する上で、意義深い決断であると思う。制服自衛官は、この措置を重く受け止めるべきである。」
  もしかしたらあなたは、防大校長という立場(地位)が一般大学の総長や学長とは違い、防衛省の給与体系でみれば陸海空幕僚長と横並びで身分は自衛隊員だということを、お忘れなのではないですか。このような政治的内容を含むコラムを事前に防衛省に届け出た上で発表されたかどうかは知りませんが、あなたこそ「自らの信念や思い込みに基づいて」行動されているのではないですか。
  あなたは防大校長就任以来、テレビ出演や雑誌等への寄稿を繰り返しておられます。平成十八年十月号の中央公論によると、防大校長に就任する前、防衛庁(当時)幹部から「新聞や総合雑誌への寄稿はできるだけ続けてもらっていい」と言われたそうですが、特定の宗教団体の機関誌ともいえる月刊誌にまで寄稿を続けているのは、やはり問題ではないでしょうか。
  その寄稿の内容が現役自衛官の心情に配慮し、その士気を高めるものであれば、よしとしましょう。しかし毎日新聞掲載のコラムは、その真逆といえるものでした。
「旧軍が、自国愛に満ちて独善に陥り、国際的視野を見失った過去、『大和魂さえあれば』とか、『竹やり三千本』の言葉に示される観念論・精神主義の過剰の中で成り立たない戦争にのめり込んだ…」「その中での遺憾な局面が、あの戦争の時代であり、今なお誤りを誤りと認めることができずに精神の変調を引きずる人のいることである…」
  このように旧軍を一方的に断罪する内容は、かつて防大の教育を受けた私にとって、到底理解し難いものです。
「私は防大における歴史教育の内容がどのようなものであるか、改めて調べてみた。あの戦争を賛美するような講義内容は、一般教授の『政治外交史』や『日本近現代史』にも、また制服の先輩教授が教える『日本戦史』などにもまったくみあたらなった。」とも書いていますが、私の学生時代の記憶に間違いがなければ、防大では一度も先の戦争が侵略だったという教育を受けたことはありません。そもそも自国が他国を侵略したなどと教える士官学校が世界のどこにあるでしょうか。
 
ご意見は左翼活動家と同じです

 平成十八年七月、あなたが第八代防大校長に内定したという報道に接し、私は耳を疑いました。あなたが神戸大学教授時代に発した歴史認識に関する見解や中国・韓国・北朝鮮に対する姿勢に疑義を感じていたからです。
  例えばあなたは扶桑社発行「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書に対し、平成十三年七月号の論座で「まことに手軽に自己正当化を施した安直なナショナリズム」「狭量で歪んだ」「他国のナショナリズムを思いやる余裕のない」などと非難されていますが、反自衛隊の左翼活動家の意見と何ら変わらない、まことに手軽な論と言わざるを得ません。「他国のナショナリズムを思いやる余裕」のないのは、この教科書の記述を何としても修正させようと圧力をかけ続けた中国や韓国の方なのに、どうして両国には何も言わない、もしくは言えないのですか。
  拉致問題に関しても、あなたは後輩の結婚式で「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね。こっちは、はるかに多くの人間を強制連行しているのに」などと発言したそうですね。式に同席した「救う会」副会長の島田洋一氏が日本教育再生機構ホームページで打ち明けています(平成十八年十月二十六日『各界有識者提言』)。この発言こそ政府見解とは似ても似つかぬどころか、朝鮮総連や北朝鮮と繋がっている一部左翼勢力の主張そのものだと思うのですが、いかがでしょう。
  防衛省改革についても、あなたの試案をもとにした防衛省改革会議の報告書が福田康夫首相(当時)に提出され、その後に上司である石破茂防衛大臣(同)が報告書を検討するという光景は、異様としか見えませんでした。上司である防衛大臣を飛び越して首相のブレーン (外交・安全保障顧問)に就任するのであれば、防大校長を辞して一大学教授に戻るべきです。

首相批判なら許されるのですか

 とはいうものの、私はあなたが防大校長に就任した以上、これまでのような言いたい放題は慎んでくれるのではないかと、ひそかに期待していました。しかしその期待は、すぐに裏切られます。就任して間もなく、あなたは小泉内閣メールマガジンに『小泉政権五年をこう見る』と題する論文を寄稿しましたね(平成十−八年九月七日配信)。自衛隊の幹部を養成する学校のトップが自衛隊の最高司令官である現職首相を表立って批判するという、実に驚くべき内容で、なぜ当時のマスコミは田母神氏を批判したように大騒ぎしなかったのか不思議でしょうがないのですが、そのことはさておき、この論文の内容はあまりに稚拙でした。歴史家を自任するあなたに、このような指摘をすることは大変失礼だとは思いますが、以下、この論文に対する疑問点を、三つ挙げたいと思います。
  まず疑問に思うのは、「靖国参拝一つで、どれだけアジア外交を麻痔させ、日本が営々として築いてきた建設的な外交関係を悪化させたことか」 と書いている部分です。ここでいうアジアとはどこを指しているのですか。アジア二十一力国中、首相の靖国神社参拝を批判しているのは中国と韓国のみです。
  しかし現在の中国に、A級戦犯云々を論じ、首相の靖国神社参拝に干渉する資格はありません。昭和六年に勃発した満洲事変以降のいわゆる「十五年戦争」において、日本は英米から武器供与と現役武官を派遣されていた蒋介石の国民党軍とは戦いましたが、戦後、国民党政権とは講和条約を締結しています。国共内戦を経て昭和二十四年に設立された共産党政権に、靖国神社参拝問題を論じる正当性は存在しません。
  韓国についても、首相の靖国神社参拝に反対すべき正当な理由は皆無です。日本が、いつ韓国と戦争したというのですか。それどころか韓国は「日本国民」として苦楽を共にし、先の大戦でも共に戦ったのですから、今さら被害者面をして補償を求めるなど全くのお門違いです。日韓併合は、明治四十三年に寺内正毅統監と李完用首相によって調印された 「韓国併合に関する条約」に基づくもので、当時の国際法から見ても不当なものではなく、列強各国も承認していました。昭和四十年に調印された「日韓基本条約」でも、併合が不当だったとは記されていません。
  どこの国でも戦死した人達を追悼する施設があり、国の代表が敬意を表すのは当然です。戦争目的や勝敗の有無には関係ありません。そうしなければ国家という共同体が保たれないからです。その場所が我が国では「靖国神社」なのです。英霊は「靖国で会おう」と散華し、当時の政府も国民も感謝し続ける事を英霊に「約束」したのです。生者との約束は変更できても、英霊との約束は変更できないのです。だからこそ首相は慰霊しなければならないのです。むろん防大校長も。

反戦教育をするつもりですか

 次に疑問に思うのは、「侵略戦争を行ったうえ敗北した日本に対する不信は、とりわけアジアに根深かった」と言い切っている部分です。
  大東亜戦争当時、アジアにおいて独立していた国は日本、タイ、シナ大陸のチベットなどしかありませんでしたし、日本がアジアで戦った相手は国民党軍以外は欧米植民各国であって、断じてアジアの国々ではなかったのです。田母神氏も論文の中で指摘しているようにこれは歴史の事実です。
  タイのククリット・プラモート元首相は「日本のお陰で、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。」と述べています(昭和三十年六月「サイヤム・ラッ上紙より)。このほか、インドのラグ・クリシュナン元大統領は「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本人が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」(昭和四十四年「日本経済新聞」より)。ビルマのバー・モウ初代首相は、「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。真実のビルマの独立宣言は一九四八年の一月四日ではなく、一九四三年八月一日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東條大将と大日本帝国政府であった。」(バー・モウ著『ビルマの夜明け』より)。さらにモハメッド・ナテール(インドネシア元首相)、ガザリー・シャフィー(マレーシア元外相)、ホーチミン(ベトナム元国家主席)、J・R・ジャワルナダ(スリランカ元大統領)など、あなたのいう「アジア」の国々の指導者は、並べて大東亜戦争による植民地解放を評価しています
  あの中国でさえ以前は、昭和二十四年の中華人民共和国樹立宣言の際に周恩来が「われわれ中共軍が日本軍と蒋介石の両軍に鉄砲を撃ち込み、さらに日華協定を妨げたことが、中国共産党の今日の栄光をもたらした起因である」と言ってみたり、昭和三十九年に訪中した佐々木更三・日本社会党委員長に毛沢東が「日本軍のお陰で、中華人民共和国をつくることができた」と漏らしてみたりと、実は日本に対して感謝″の意を持っていたのです。
  三つ目の疑問は、「イラク戦争は間違った戦争である」という部分です。あなたは反戦教育をするつもりで防大校長を引き受けたのですか。あるいはイラク派遣を続ける政府の命令に従うなと言いたいのですか。
  言うまでもなく自衛官は、国民の生命、財産、そして国家の名誉を守るため、思想信条の如何にかかわらず国家の命令に従い、任務を全うします。命令が出された以上、防大校長として為すべきは、彼らを「間違った戦争の協力者」に仕立て上げることではなく、彼らの安全を祈願し、その家族とともに日の丸を振って送り出すことではないでしょうか。いずれにせよ、右のような見解を公にすることは、諸外国、とりわけあなたが大好きな中国では国家反逆罪に相当する行為です。田母神論文の比ではないと思うのですが、いかがでしょうか。

なぜ中国を代弁するのですか

 防大校長としてのあなたのやりたい放題は、もはや止まるところを知りません。昨年九月に神戸市などで第九回世界華商大会が開催された際、何故かあなたは華僑組織の戦略委員を務めておられました。ですが、防大校長がここまで突出し、イベント屋になることは大きな誤解を生みます。
  この大会の実行委員会の代表を務めた蒋暁松氏が、疑惑の多い「グリーンピア南紀」問題に絡む人物だったことはあなたの与り知らないところだったとしても、「世界華商大会」が中国共産党の強い影響下にあり、台湾系の人々が排除されていることぐらいはご存知でしょう。にもかかわらず戦略委員などを務めれば、日本の防大校長はいつから中国共産党のスピーカーになったのかと、余計な批判を招くかも知れません。それがあなたにとってはどうってことない批判であっても、あなたの下で学ぶ防大生にとっては耐え難いものであることを、一度でも考えたことがおありですか。
  そういえばあなたは、神戸大学教授時代から視点の中心を「日本」ではなく「中国」においた発言や論文を多数発表されていましたね。近年では「反中″原理主義″は、有害無益である」(中央公論・平成十六年五月号)、「中国と『協商』関係を築け」(潮・十八年七月号)、「東アジアの潮流へ/底を脱した日中関係」(毎日新聞・二十年五月十八日付)、「『日中協商』の時代/東シナ海ガス田合意」(毎日新聞・二十年六月二十二日付)などで、必要以上に中国を持ち上げておられます。しかし防大校長である以上、もっと違った視点で中国を見るべきではないでしょうか。
  中国の国防予算は一九八九年以降、毎年十パーセント以上の伸びを維持しています。現在、東アジア諸国の中で中国に攻撃(侵略)を考えている国家など一つもないのに、勝手に緊張感を高めている格好です。二〇〇六年六月にシンガポールで行われた国際会議で米国のラムズフェル下国防長官(当時)は「どの国からも脅威がないにもかかわらず、中国が兵器購入を増加する動機は何か〜」と質しましたが、中国は依然としてこの問いに答えていません。
  中国は一九九二年に「領海法」を制定し、尖閣諸島や台湾、東・西・南沙諸島などを領土と規定して外国軍艦を排除する権限を軍に付与しました。日本近海では中国の潜水艦が情報収集を行い、日本本土に向けて既に数十発の核弾頭ミサイル(東風21)を配備、台湾に対しても七百八十基以上の弾道ミサイルを配備していると言われます。加えて新たに開発した巡航ミサイルを百基以上、東シナ海と台湾を呪んで配備しています。
  中国だけではありません。韓国は日本の領土である竹島を半世紀以上に亘って不法占拠し、北朝鮮は日本人拉致被害者を日本に返さず、世界を欺き核開発を続行しています。
  日本を取り巻くこのような状況の中で、防大生から中国の国防費増強、韓国の竹島不法占拠、北朝鮮の日本人拉致について質問を受けたら、あなたは校長として何と答えるのですか。
  残念ながら、あなたが「信頼できる首相」と讃える福田前首相は、あなたより先に退場しました。「人のいやがる事はしない」という外交姿勢は、あなたが助言したものだという噂さえありますが、本当だとしたら随分罪なことをしたものです。そんな外交姿勢は中国、韓国には通用しないどころか、逆につけ込まれるだけだったことは、毒ギョーザ事件をめぐる福田外交のトンチンカンぶりをみても明らかです。
  今年五月、東京・日比谷公園内にあるレストラン「日比谷松本楼」で催された中国国家主席の胡錦涛氏と福田首相との夕食会に、あなたも同席されたそうですね。防大校長として、増大する国防費の透明性を高めるよう強く求めたことと拝察します。あるいはチベット弾圧で中国への批判が高まっていた時期ですから、人権抑圧と少数民族排除を即刻止めなさいと″厳命″したのかも知れませんね。
何せ、最高司令官たる自国の首相を公然と批判するぐらいですから、胡錦涛氏にチクリとお灸を据えるくらい造作ないことでしょう。
  まさか防大校長が中国国家主席に愛想笑いを浮かべ、余計なおべっかを使ったとは思いたくありませんから。

元校長の言動を見習うベきです

 不幸なのは、自国を愛し、自国を守る気概を持って防大の門をくぐったのに、あなたのような媚中的な言説を吐く校長の下で学ばなければならない現役の防大生です。実際、あなたに対する批判、少なくともあなたを尊敬できないとする後輩の声が、私の耳に届いています。
  私が防大生だった時は、こうではありませんでした。当時は防衛事務次官を務められた夏目晴雄校長でしたが、あなたと違い媚中的発言や旧軍の批判などは全くなく、日本人としての誇りと自衛官としての人間力の必要性を、常に説かれていました。夏目校長は学生の野営訓練の視察にも積極的に足を運び、富士の演習場で自由闊達な議論を一緒にさせていただいた記憶があります。夏目校長は私たち卒業生への贈る言葉として、「防大の生みの親である吉田茂元首相が諸君の先輩にこう言われたことがあります」と前置きし、防大OBの間で長年にわたり語り継がれてきた言葉を 紹介されました。
  あなたにも、この吉田元首相の言葉を お聞かせしましょう。

 「君たちは自衛隊在職中決して国民から感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。ご苦労なことだと思う。
  しかし、自衛隊が国民から感謝され、ちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡のときとか、国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。言葉をかえれば、君たちが日陰者でぁるときの方が、国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい」

 夏目校長は続けて、「諸君の先輩は、この言葉に心を打たれ、自らを励まし、逆風をはねのけながら、ひそやかな誇りを持ち、報われることの少ない自衛官としての道を歩んだのであります」ともおっしゃいました。これぞ、防大校長にふさわしい見識です。あなたはそうは思いませんか。
  防大校長と学生との連帯感があって初めて、防大精神が学生の中に浸透していきます。しかし、あなたの五百旗頭イズムについてくる学生は一人もいないでしょう。

田母神イズムこそ必要です

 防大では学生の自発的行事として毎年、日本海軍が真珠湾攻撃をした十二月八日前後の土日を利用し、横須賀の防大から靖国神社までの七十五キロの夜間行軍(靖国行軍)が行われています。昨年は女子学生を含め在校生の四分の一に当たる四百八十名が十二月八日から九日朝にかけて行軍し、靖国神社に到着するや一種制服に着替え、昇殿参拝、遊就館を見学しました。私も学生時代には参加しましたが、早朝の靖国神社の雰囲気は最高です。
  いかがでしょう。あなたも今年の靖国行軍に参加してみては。あなたが靖国神社参拝を毛嫌いしているのは百も承知していますが、学生たちとともに汗をかかれて参拝されるならば、案外考えが変わるかも知れませんよ。
  去る十月八日、九日には防大で第五十六回開校記念祭が行われました。学生で組織する開校祭実行委員会が掲げた今年のテーマは「大和/祖国への想い」。同委員会のホームページ上には「我々防大生は誰しも、祖国への想いを胸に生きていることは紛れもない事実です。この度の開校記念祭では『大和』という力強い日本の伝統、文化、歴史を象徴する言葉をテーマとして、我々防大生の祖国への想いを表現したいと考えました。」と記されています。
  これを読む限り、防大生はまだ、五百旗頭イズムには染まっていないようです。むしろ、田母神氏が論文で述べている「東京裁判史観からくる、日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、という思考によって、自衛隊は領域警備もできない、集団的自衛権も行使できない、などの様々な拘束を受け、東京裁判史観が我が国の安全保障を損ねている」という考えに、防大生は近いような気がします。
  私が今、危惧しているのは、あなたがマスコミの田母神論文批判に力を得て、より五百旗頭イズムを浸透させようと、防大生の健全なる思想信条に踏み込むような言動をとることです。
  私は防大の学生時代、弁論部に所属し、幾つかの弁論大会に出場しました。
東條英機無罪諭をプチ上げたり、憲法改正の必要性を主張する弁論を行ったこともあります。いずれも事前に原稿を防大学生課に提出し、チェックを受けました。一部修正や書き直しの指示は受けたものの趣旨は変わることなく、出場を許されました。
  しかし今、私のような弁論原稿を書いたら、あなたはどうされますか。出場を許して下さいますか。一度も戦争を体験したことのない自衛隊にとって、日本国の主権を守り、戦争に勝つための能力を兼ね備えた幹部自衛官を養成するのに必要なのは、五百旗頭イズムではなく田母神イズムであると、私は確信しています。
  最後に、私はあなたに、はっきり申し上げなければなりません。あなたが防大校長であることは、間違っていると。あなたの信頼する福田前首相は、政界からすっかり姿を消しました。まだお辞めになって二カ月ほどですが、政局が混迷を極める中、これほど誰からも相手にされない首相経験者も珍しく、いかに国民から愛想を尽かされていたかが分かります。そして残念ながら、防大校長としてのあなたも愛想を尽かされています。
  繰り返します。どうか直ちに防大校長を辞してください。そうすることが防大、そして日本国の将来のためであることを念押しして、筆を置くことにいたします。
                                    敬具

◎溝口和久氏 昭和43(1968)年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科(37期陸)卒。陸上自衛隊勤務後、国会議員秘書、日本政策研究センター研究員、栃木市首席政策監などを歴任。現在、現職のほか国学院大学栃木短期大学講師などを務める。平成16年には竹島に本籍を移す。

 
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