探していた、五百旗頭校長の過去の講演内容(平成19年および平成21年、和敬塾生に対して行ったもの)が、やっと見つかりました。以下は、それに関する私の評論です。
ポイントは、まず平成19年ものの1ページ目
「人間らしい、自らの志を持った幹部自衛官ーエリートですから、奴隷のような服従ではいけないですねーそういうリーダーシップを築く教育の在り方を目指して現在に至っています」に就いてです。
この部分の「服従」につきまして、服従とはどういう意味なのか考えて見ます。
この講演時には、まだ田母神空将は現職の航空幕僚長で、世間にも知られていなかった時期ですが、それから約一年後にご自身の歴史に関する所感文を書いて発表し、世間に存在が知られたのでしたね。
その時に、五百頭旗校長は、田母神航空幕僚長の更迭に関して、毎日新聞においても「精神の変調を引きずる人」と田母神空将を評し、さらに、『安全保障』107号(日本国防協会 平成21年1月)にも、
“そういう時だけに、空幕長さん(注、田母神俊雄氏)の問題というのは、いささか虚をつかれました。
戦後の自衛隊は、槇先生のよき指導もあって、幹部自衛官はシビリアン・コントロールを内面化した、
『政治がばかだから、おれはクーデターをやるんだ』とか
『社会に理解がないから、おれは勝手にこうするぞ』とか
『いうことを聞くわけにはいかない、おれの信条だ』などとそういうことは言わない。
謙虚に政治の判断、国民の判断を求め、事有らば火の中、水の中辞さないけれども、しかし傲慢になって「政治がおかしいんだ」「世論がおかしいんだ」「だからおれが剣を抜いて決めてやる」「おれは自分の信ずるところで走る」などと、最終的な暴力の保有者である軍がそれをやってはいけない。
それをしないということが戦後の自衛隊の基礎だったのです。それを危うくするようなものであってはいけないと考えます。その間認識がおかしくなって精神に変調をきたして、あらぬ行動を始めないかという問題が心配です”
と書いています。
田母神航空幕僚長の論文事件以前には、「奴隷のような服従ではいけないですね」と書かれているのに、田母神空将更迭以後、ただ文章を書いて発表しただけのことなのに、「精神の変調を引きずる」と書いたり、自衛官が自らの所感を書いた
りすることに批判的になっているのはなぜでしょうか?
五百旗頭校長のいう「服従」の意味を知りたいところです
。
「服従の誇り」とはどのようなものなのでしょうか?
あとは、「激動の世界と日本」という講演内容から、現在のアメリカや中国との関係をどうすべきかということを、平成21年のものでも話をしています。
五百旗頭校長が、アメリカの話をする時に、「アメリカは、太平洋戦争中にすでに、戦後の日本をどうするかについて計画を立てていた」ことをあげ、これを高く評価しています。
私は「戦争中にすでに日本が負けることを想定して、その後どうするかまで計画を練っていた」アメリカの冷静さには驚きはしますが、心情的にはどうしても、五百旗頭校長のように高く評価することができないのです。
とても悔しいです。彼はそうせざるを得なかった日本の立場に冷淡です。
ポツダム宣言を受諾したことで得た「平和」と引き換えに、1,068名の「昭和受難者」と言われる方々が「戦争犯罪者」として命だけでなく、人としての名誉まで奪われたこともまた、悲しいのです。
さらに中国について、19年ものの17ページ目に、「中国は反日的な世論をぎゅっと抑えている」と書いていますが、本当にそうでしょうか?
中国が反日的世論を抑えているなら、なぜ長野聖火リレーのときのような暴動が起きたり、餃子事件の初動時に中国政府が日本の所為にするのでしょうか。
むしろ、ゆっくり、じわじわと私たちの気付かないうちに日本侵略をし始めているのではないでしょうか。戦争をせずに国土を広げるなら、それが一番とは古来からの常識ではないでしょうか。
先日上野(ってよく行くんですよ実は)で焼き肉屋の店員さんが、日本語だけでなくて、中国語でも宣伝していました!
「今、〜が安いですよ。グループでもいいですよ」とかいったあとで中国語でもほぼ同じ意味のことをいうなんて!
そこまでもう行ってしまっているんだなと感じました。
本当に田母神空将が何かいうと、その言動についてバカにする人たちも、五百旗頭校長のいうことは、普通に受け入れられてしまうのですね。
学者が書いたり、言ったりすることはあまり問題にならないのは不思議です。
かくいう私もその一人でした。
大学時代、自分の分野の学者が著書を出した時に、自身の論文を勝手に題名を変えて、それを表記せずに刊行してしまったことに対し、学会内では問題にはなったようですが、職を追われることはありませんでした。さらに、その学者の日本語能力が低かったことで、他の優秀な学者がわかりやすい説明を学術雑誌に投稿しました。
その優秀な学者先生も、田母神論文については問題だとして署名していました。
田母神空将がやったことは、ただ文章を書いたことと、その内容が、正直他の著書・論文の切り貼りで、とても論文とはいえない代物だと、学者先生方は批判しました。日本語が分かりにくい文章を著書にして刊行した学者が、田母神空将のものを批判している姿には苦笑せざるを得ません。それなのに、文章書くのが仕事ではない田母神空将は、即日更迭で、文章を書いて学生を指導する学者は定年まで高給をもらって務めあげられる・・・。
そういう理不尽がまかり通っているのではと考えさせられました。