靖国神社のたたずまい

 

岡崎久彦がアメリカの下僕として、靖國神社・遊就館の書き換え関与主導を自白・自慢の居直り

平成19年7月3日
 

岡崎久彦がアメリカの下僕として、靖國神社・遊就館の書き換え関与主導を自白・自慢の居直り。吹聴する岡崎もそうだが、それを推進する靖國神社も同罪である。密室での書き換えを許してはならない。

本日(7月3日)、主権回復を目指す会の西村修平代表は靖國神社の広報課課長・宮澤佳廣氏に、見直しについて意見を聴いた多くの「識者(朝日新聞)」の名前を尋ねた。以下会話のやりとり。

西村:多くの識者とあるが、意見を求めた方の名前を教えて頂きたい。
宮澤:いろいろな事情があり、申し上げられません。
西村:事情とは何か、その公表できない理由は。
宮澤:名前を公表すると、識者の方へ問い合わせなどが殺到し、 迷惑を掛けるので
    教えられない。
西村:迷惑に思わない識者もいるでしょう。その方の名前を教えて頂きたい。
宮澤:それは・・・・・、沈黙(絶句?)。
西村:答えて下さい。皆がみな迷惑ではないはずだ。問い合わせがあって迷惑というのは
    逃げではないか。 識者を自称するなら堂々と返答すればいい。教えて下さい。
宮澤:・・・・・。
西村:始めから靖國神社は公表するつもりがないと言えばいいだろう。
    それを非理屈で誤魔化そうとするから小手先の嘘を吐かざるを得なくなる。
    始めから靖國神社は、一切答えない。
    問い合わせにも返答しない といえば良いじゃないか。
    何故、そう言わないのだ。何故、言えないのだ。

※つまり靖國神社は、参拝客や国民の声など一切無視し、一部の取り巻き御用学者だけで、密室の会議で遊就館の書き換えをする意志を示している。朝日がわざわざ、岡崎を「首相ブレーン」と見出しをつけている重みを軽くみてはならない。

下記はインターネットに流れた有名な情報の一つである。参考にまで。

>聞けば、昨年の暮れには後楽園ドームホテルで、南部宮司、山口権宮司、以下担当部課長が岡崎久彦、永江太郎、そして総代の小田村四郎氏らと、豪華な忘年会をやられたらしい。
崇敬者の浄財を使ってだ。靖國神社の宮司、権宮司が岡崎のお茶給仕をさせられているのですよ。
岡崎に金払って、宮司、権宮司がお茶給仕して、豪華な料理を食べさせて、その上で、日本のために、天皇のために醜の御楯となられた殉国の方々を、侵略者にする記述をお願いしているのですよ!
少しは、皆さん、…目を覚ましたらどうですか!
遊就館も炎に包まれた。炎上である。本殿も炎上。
神門前も炎上。彼らは「間違ったことをやっているわけではない」彼らは「自分達が正しいと思うことを」やっているんです。神社執行部の見方を変えないと、グルグル回っているだけで、神社はどんどん変っていく。<

「英霊にこたえる会」の小田村四郎氏も堂々と名を連ねている。きちんとした対応を怠れば、「英会」も同罪となる。

首相ブレーンの岡崎氏、「遊就館見直し関与」

2007年07月03日02時24分(朝日新聞)

安倍首相の外交ブレーンの岡崎久彦・元駐タイ大使が2日に外国特派員協会で講演し、「私はいま靖国の遊就館の記述を直している」と述べ、靖国神社境内の戦争博物館「遊就館」が進める展示見直しへの自らの関与を強調した。「日米戦争と日中戦争がどうして始まったかについて元の記述を直した」という。
 岡崎氏は、日米戦争の記述について「ルーズベルト大統領が日本に最初の一発を撃たせるよういろいろ工夫したこと自体は正しい」としつつ、米国の動機について「『不況から脱するため』という部分を削り、(同大統領が日中戦争開始後に日独伊を批判した)37年の隔離演説という言葉を入れた」と語った。

 日中戦争では「37年からに限れば中国側が始めた」とする一方、日本軍が北京を中心とする中国北部を国民党の政府から分離させる活動を35年から本格化させた「北支工作」を「長期的な原因に付け加えた」と述べた。
一方、靖国神社広報課は見直しについて「多くの識者の意見を聴いたうえで、主体的に行っている」と説明している。


 
投稿者 主権回復を目指す会事務局
2007/02/06

「松平元宮司の願い」

 私、松平永芳の願ひは、たゞひとつ、國のために盡くし命を捧げられた方々に、靖國神社で靜かに眠つて頂き、ご遺族の方々に、何ものも煩はされる事なく、靜かにお參りに來て頂き、靜かに語り合つて頂きたいと、といふことである。

 「靖國で會はう」と散つてゆかれた祭神は、現在のお社の姿を思ひ浮べてをられたわけである。したがつて戰前からの姿を推持することが必要である。

 私は在任中に、境内には餘計なものは絶對に造らないといふ方針をとりましたから、在任した十四年間に新たに出來たものと言へば、軍犬慰靈像と、拜殿の脇に造つた國旗掲揚臺だけです。國旗掲揚臺を造つたのは、祝祭日に限らず、國旗を掲げるためです。それは我々出征將兵は、みんな戰地で進軍する時、日の丸の旗を掲げたわけで、祝祭日の日の丸とは譯が違ふ。だから雨の日でも雪の日でも、神門を開くと同時に宿直が掲げて、神門が閉じられた時に降ろすやうにしました。

・・・神門前で猿回しなどの騒音は、ご遺族に失礼で、もってのほか。境内、特に内苑に余計なものは絶対に作ってはならない。

上空から見る靖国神社・神門と第二鳥居。

第二鳥居の北側にある緑の林。

その聖域を埋め尽くす便所と休憩所の建設計画。

 

一昨年、昨年の8月15日には、25万の参拝客があったが、便所不足はなかった。崇敬奉賛会員として無駄なお金は使ってもらいたくない・・・

 

「靖国神社のたたずまいを変えない運動」

 靖国神社元宮司の松平永芳氏は、「誰が御霊を汚したのか」という論文の中で、在任中には命懸けで靖国神社を明治のご創建の趣旨に違わず、本来の姿を守ろうとしたと述べ、その一つが「神社のたたずまいを変えないこと」であったとしています。
 その部分を引用しますと、”神社のたたずまいを変えてはなりません。われわれは「靖国で会おう」「靖国の桜の下で再会しよう」と誓い合って戦地に赴いたのです。そのときのお社の姿、現在の姿ですが、これを変えるわけにはいかない。たとえ何百億円寄付するから日光東照宮のような壮麗華美な社殿にしてくれといわれても、絶対に肯けない。”ということです。

 靖国神社は、松平氏のこの遺言に違い、この4月から下乗の定めのある内苑に休憩所と便所を設けるとして、英霊の宿るご神木を切り出す計画を立てています。
ご創建以来、百数十年この方、問題なくやってきたのに更なる休憩所と便所の必要性があるとは思えませんが、もしどうしてもというなら、空いている外苑に作れば良いでしょう。
猿回しも外苑でやれば、どこからも苦情が来ないのと同じ話なのです。こんなことを計画したのは、また例の落合猿回し課長ではないかと疑っています。

 我々は内苑のご神木1本を切ることにも身体を張ってでも反対します。訴訟も視野に入れています。我々は、時間もあまり無いようなので、取り敢えず「靖国神社のたたずまいを変えない運動」を開始しますので、是非皆様のご理解とご支援を賜りたくお願い申し上げます。

(説明)昭和19年当時の神門前。右側の木を切り、便所等を作る計画だが、戦前からある神木を切り出すと高層ビル等の建物が丸見えになる。

皆様に措かれましては、何卒、我々の「靖国神社のたたずまいを変えない運動」にご協力、ご支援を、よろしくお願い申しあげます。

崇敬奉賛会加盟団体

主権回復を目指す会  
〒101-0065 東京都千代田区西神田1−1−2パトリス26−502号
電話 03(5281)5502 Fax03(5281)5603

靖国会
〒102-0093 東京都千代田区平河町2−4−7清瀬会館7F
電話 03(5993)2720     


本日決定、靖國神社が工事の全面凍結を

靖國神社が神門前工事を全面凍結する  平成19年2月6日
主権回復を目指す会代表 西村修平
〒101-0065
東京都千代田区西神田1−1−2  パトリス26−502
電話03−5281−5502
Fax03−5281−5603

 靖國神社は2月1日の社報で「神門前トイレ改修・防災用備蓄倉庫新築及び周辺の整備について」の工事計画を公告したが、神社に寄せられる意見を配慮にして工事見直しを含む全面凍結を、主権回復を目指す会に伝えてきた。

山口建史権宮司は「靖國神社に寄せられる様々な意見のある中で強行する考えは全くない」としたうえで、些か結論が性急に過ぎたと述べ、当分の間この工事計画は全面凍結するとの考えを明らかにした。なを、詳細は3月1日発行の社報『靖國』で公表する。

主権回復を目指す会は、弊会の「工事の再考」を訴えたお願いに耳を傾けられた靖國神社の決断を高く評価する同時に、英霊を祀る祈りの空間とその神域の護持のため、靖國神社にたいして今後も微力を献ずる所存であります。

 
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