岡崎久彦がアメリカの下僕として、靖國神社・遊就館の書き換え関与主導を自白・自慢の居直り。吹聴する岡崎もそうだが、それを推進する靖國神社も同罪である。密室での書き換えを許してはならない。
本日(7月3日)、主権回復を目指す会の西村修平代表は靖國神社の広報課課長・宮澤佳廣氏に、見直しについて意見を聴いた多くの「識者(朝日新聞)」の名前を尋ねた。以下会話のやりとり。
西村:多くの識者とあるが、意見を求めた方の名前を教えて頂きたい。
宮澤:いろいろな事情があり、申し上げられません。
西村:事情とは何か、その公表できない理由は。
宮澤:名前を公表すると、識者の方へ問い合わせなどが殺到し、
迷惑を掛けるので
教えられない。
西村:迷惑に思わない識者もいるでしょう。その方の名前を教えて頂きたい。
宮澤:それは・・・・・、沈黙(絶句?)。
西村:答えて下さい。皆がみな迷惑ではないはずだ。問い合わせがあって迷惑というのは
逃げではないか。
識者を自称するなら堂々と返答すればいい。教えて下さい。
宮澤:・・・・・。
西村:始めから靖國神社は公表するつもりがないと言えばいいだろう。
それを非理屈で誤魔化そうとするから小手先の嘘を吐かざるを得なくなる。
始めから靖國神社は、一切答えない。
問い合わせにも返答しない
といえば良いじゃないか。
何故、そう言わないのだ。何故、言えないのだ。
※つまり靖國神社は、参拝客や国民の声など一切無視し、一部の取り巻き御用学者だけで、密室の会議で遊就館の書き換えをする意志を示している。朝日がわざわざ、岡崎を「首相ブレーン」と見出しをつけている重みを軽くみてはならない。
下記はインターネットに流れた有名な情報の一つである。参考にまで。
>聞けば、昨年の暮れには後楽園ドームホテルで、南部宮司、山口権宮司、以下担当部課長が岡崎久彦、永江太郎、そして総代の小田村四郎氏らと、豪華な忘年会をやられたらしい。
崇敬者の浄財を使ってだ。靖國神社の宮司、権宮司が岡崎のお茶給仕をさせられているのですよ。
岡崎に金払って、宮司、権宮司がお茶給仕して、豪華な料理を食べさせて、その上で、日本のために、天皇のために醜の御楯となられた殉国の方々を、侵略者にする記述をお願いしているのですよ!
少しは、皆さん、…目を覚ましたらどうですか!
遊就館も炎に包まれた。炎上である。本殿も炎上。
神門前も炎上。彼らは「間違ったことをやっているわけではない」彼らは「自分達が正しいと思うことを」やっているんです。神社執行部の見方を変えないと、グルグル回っているだけで、神社はどんどん変っていく。<
※「英霊にこたえる会」の小田村四郎氏も堂々と名を連ねている。きちんとした対応を怠れば、「英会」も同罪となる。
首相ブレーンの岡崎氏、「遊就館見直し関与」
2007年07月03日02時24分(朝日新聞)
安倍首相の外交ブレーンの岡崎久彦・元駐タイ大使が2日に外国特派員協会で講演し、「私はいま靖国の遊就館の記述を直している」と述べ、靖国神社境内の戦争博物館「遊就館」が進める展示見直しへの自らの関与を強調した。「日米戦争と日中戦争がどうして始まったかについて元の記述を直した」という。
岡崎氏は、日米戦争の記述について「ルーズベルト大統領が日本に最初の一発を撃たせるよういろいろ工夫したこと自体は正しい」としつつ、米国の動機について「『不況から脱するため』という部分を削り、(同大統領が日中戦争開始後に日独伊を批判した)37年の隔離演説という言葉を入れた」と語った。
日中戦争では「37年からに限れば中国側が始めた」とする一方、日本軍が北京を中心とする中国北部を国民党の政府から分離させる活動を35年から本格化させた「北支工作」を「長期的な原因に付け加えた」と述べた。
一方、靖国神社広報課は見直しについて「多くの識者の意見を聴いたうえで、主体的に行っている」と説明している。