平成19年5月5日 第二次世界大戦と日独伊三国同盟 −海軍とコミンテルの視点から
 
平成19年5月5日
平間 洋一   
 

 学者として14年の研究を『第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から(錦正社)』として完成致しました。大学や学会などで疎外されてはと、これまで自らを『閉ざされた言語空間(江藤淳)』に置いてきましたが、齢を重ね学会などとの関係も希薄になりましたので、意を決して書いたのが本書です。

細部はホームページをご覧下さい。
ホームページ:歴史・戦略・安全保障
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/hirama

本書の特徴と著者のお願い

 本書の特徴ですが、第1は第二次世界大戦中に日独海軍が共に戦ったインド洋共同作戦を主軸とし、日独伊三国同盟が締結されてから敗戦に至るまでの日独関係を海軍の視点から明らかに致したことです。わが国における日独関係史の研究は、外交史などに限られ日独両国の戦争指導やインド洋での日独伊三国の潜水艦作戦のなどに関する研究は極めて少なく、本書はこの空白を埋める研究です。また、本書は日独伊三国同盟の締結から敗戦、さらに占領期の日本弱体化政策に至る昭和史を単に日独関係だけでなく、日独両国の動きに対する米英ソ中などの動向―日米関係から日中、日ソ、日英関係などを多面的に論究したことです。この視点に本書の特徴があると思います。

 第2の特徴は第二次世界大戦への道程から敗戦後の55体制、そして現在までの日本の歴史をコミンテルンの視点から分析したことです。共産主義の恐怖を実感した日独は世界で初めて共産主義(コミンテルン)に対処するため、ドイツは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)、日本は大政翼賛会体制と国家総動員体制、米国は社会主義的なニューディール政策を採用しました。この結果、日本では近衛上奏文にある革新官僚(共産主義の仮面を被った右翼・「近衛上奏文から」)や、陸軍統制派によって全体主義的な国家へと変質させただけでなく、コミンテルンに踊らされ中国大陸という泥沼へと落ち込んで行った歴史を書いたことです。

 一方、米国はルーズベルトが3選を果たすため、選挙では「ピンコ」と呼ばれる共産主義者やシンパを加えたニューディール左派連合を結成して国家統制を強めるなど、世界的経済恐怖に襲われ資本主義が行き詰まった日独米などの先進国は社会主義体制へと転換して行きました。ルーズベルトが容共的であったため政権にはハーリー・ホプキンスやアルジャー・ヒスなど多数のピンコが採用され、政権内のピンコがソ連に情報を流しただけでなく、ローズベルトの対日政策に大きな影響を与えました。さらにルーズベルトが日本の敗戦直前に死亡したため、職を失ったピンコや中国派の人物がマッカーサー司令部に採用されて多数来日し、憲法改正や教育改革などの日本の精神的武装解除に参画し、現在のような自虐感に呵まれた日本を誕生させたことを論証しました。このコミンテルンを加味した歴史が、読者に新しい視点を提供すると確信致しております。
また、本書では米国における「チャイナ・ハンド」と呼ばれた親中国派の政治家、ジャーナリスト、宣教師や学者たちが、ある者はコミンテルへの忠誠心から、ある者は正義感や中国への同情、あるいは金銭的利益などから中国のために反日活動を展開し、田中上奏文などの偽造文書を作り、米国の世論や政策を反日親中へと変えていったことなど、このらの歴史を知ることは現代にも大きな教訓となるのではないでしょうか。

 第3はタブー視されてきた外務省の戦争責任や東京裁判史観への責任を海軍の視点から追求したことです。戦前の日本の対外政策は陸軍主導ではありましたが、常に陸海外の3省が調整して決めていたし、時には昭和天皇に忌避された松岡洋右や白鳥敏夫に代表される革新外交官が大きな影響を与えました。しかし、これら革新外交官の戦争責任や東京裁判史観形成に対する責任は改竄され隠蔽されたままです。アメリカは日本が真剣に米国との和平を進めていたとしたのでは東京裁判が成り立たないので、ハワイを奇襲するために野村吉三郎大使が「偽りの外交」を行っていたと東京裁判で主張すると、外務省はこの「偽りの外交」史観に同調し、以後、口を揃えて野村大使などの日米交渉を「呪われた外交」と非難してきましたが、この「呪われた外交」史観に「身元不明者グループ」といわれるアメリカも隠蔽してきたカソリック教団やヴァチカンの動きなどから反論を試みました。

 東京裁判で海軍は開戦の決断は強硬なハルノートであり、開戦通告の遅延はワシントン大使館の事務処理であったと主張しようとしましたが、東郷茂徳外相は真珠湾奇襲を成功させるため、「外交を犠牲にしろ」と海軍から脅迫されたと法廷で証言、これに対して嶋田繁太郎海相は責任を逃れるため、イカが墨を吐いて逃げるように虚言したと反論、本書ではこの「イカ墨」論争や、松岡外相の「唯戦え、唯戦え、勝つまで戦え」「東条首相を褒めてあげて下さい」との徳富蘇峰への書簡などの新資料により、革新外交官が米国の史観(東京裁判史観)に迎合して外務省だけが解体を免れた史実と、外務省史観成立の背景を明らかにしました。

 外務省が解体されなかったため、三国同盟の締結や開戦への道を推進した革新外交官が追放されることなく生き残り、退職後に多量の『外交史(鹿島研究所出版会)』を書いて、国内に外務省史観を定着させただけでなく、国連外交協会や国際交流基金、国連大学などを通じて世界に発信し続けて来ました。本書をお読みになり、軍部をスケープゴートとして出来上がった外務省史観、いわゆる東京裁判史観が見直されるならば、これに過ぎたる喜びはありません。しかし、学術書のため値段が5800円と高価なため広く読んで頂けないのではと危惧しております。真実の昭和史を出来るだけ多くの人に知って頂くため、私にメールで申し込んで頂ければ著者割引5000円(送料込み)でお送り致します。    
                                                        

 
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