防大校長・五百旗頭真ミニ研究(IV)
 
自虐史観(=戦後レジーム)の体現者としての五百旗頭
 本日(3月16日)の朝日新聞朝刊・風考計に、「校長を悩ます『田母神』応援団」なる防大に関するコラムが掲載された。筆者は4年程前に同コラム欄で、「竹島は、いっそのこと韓国に譲ったら」と書いた自虐史観の雄・若宮啓文である。
 記事の末尾が(靖国神社の遊就館に展示されていた「ルーズベルトの罠」に似た解説が撤去されたことに続いて)「米国からの批判もあってのことだが、それをむし返した田母神氏の感覚は、日米安保体制の要職にいた人とも思えない」とあった。
 田母神更迭と、その後におけるマスコミ、政党、政府それにいわゆる知識人らが、ヒステリックに田母神を叩いたのは、田母神論文が「戦後レジームの核心」にメスを入れたからで、「戦後レジーム」に安住し、これをメシの種にしてきた組織や個人への挑戦だったからだ。
 田母神の提起によって露わになった最重要なことは、日本を「戦後レジーム」に縛りつけておくことが米国の国益であり、従って米国は日本が独立してから今日まで、日本の各層のエリートに対し、東京裁判史観の呪縛をかけ続けているという事実だ。中西輝政によると、講話条約が結ばれた頃から、米国は日本の知識人の歴史観を東京裁判史観に近い米国の許容範囲に納めるために、様々な日米交流のための財団を作ったり、色んな学会に財政的援助をしてきた具体的事実が、ごく最近明らかになったと書いている(「WILL」4月号別冊)。
 ちなみに五百旗頭は、米国ハーバード大学客員研究員を2度(昭和52年から2ケ年及び平成14年5月から1ケ年の延べ3ケ年)、それに日本政治学会の理事長及び顧問、日本学術会議会員などの他、国際交流基金、アジア調査会、日本国際問題研究所など外務省関連団体との関係は濃密だ。
 国家観や歴史観それに学者としてのスタンスが、東京裁判史観そのものなのは、五百旗頭の経歴・所属団体等からして当然なのだ。

 既掲載のミニ研究で一部述べたように、五百旗頭がどうして政治家・官界(特に外務省)・学会などであれ程珍重されるのか。学者としての彼は、筆者は殆ど評価の価値がないと考えるが、筆者の評価とは逆に、世間の彼への評価は凄まじいとしか言いようがない。
 この疑問への答えが、五百旗頭が米国が押しつける「戦後レジーム」の優等生であるからに他ならない。田母神論文問題化と更迭に関して、五百旗頭がすかさず完膚無きまでに田母神を叩いた理由が、田母神が「反戦後レジーム派もしくは正当保守派」だからで、その観点からすると五百旗頭が、上記の政治家やマスコミ人らと全く同じ反応をしたのは当然過ぎる程当然と言える。

 朝日の若宮とて反米のポーズをとりながら、実は米国のかけた呪縛(=戦後レジーム)に嬉々として安住している実態が冒頭の記事から良く分かる。


学者としての五百旗頭
 米国好みのスタンスで、それに沿った論述のサンプルとして、産経新聞(平成18年12月6日)正論欄掲載「真珠湾への道」シリーズ(その5)の五百旗頭論文の冒頭部分を以下に引用する。論文の前半は日本、後半は米国についての記述である。

 <何が太平洋を『戦争の海』にしたのか。
 日本軍の真珠湾攻撃による開戦であったから、日本政府がそれをやめれば、日米戦争はなかった。米国が約10倍の工業力を持つことを日本政府は調査結果により知っていたから、「勝ち目のない戦はしない」と健全な割り切りさえあれば、亡国の愚行は避けえた。
 もしあの時点での開戦を日本政府が見送っていれば、モスクワ前面でのドイツ軍の敗退がすぐに明らかになり、日本は参戦を回避せざるを得なくなったであろう。その場合、日本は第一次世界大戦以来の特需を楽しみ、世界水準を抜くに至った日本の戦闘機や軍艦の購入を切望する両陣営に対して、有利な取引の出来る立場を得たであろう。>

 「日本が自制すれば日米戦争はなかった」、「開戦しなければ日本は特需を楽しめた」、それなのに愚かな政府指導者が勝ち目のない戦い(筆者注:「亡国の愚行」とは、よくも言ったものだ)を始めたとの論旨で、要するに日本が戦争原因の全てなのだ。
 まさに米国が昭和45年12月8日(日米開戦日)から17日まで計10回、全ての全国紙に連載させ、また学校の教材として使用させた、連合軍総司令部作成の「太平洋戦史」をそっくりなぞった論旨なのだ。
 論旨は後半部分も一貫して米国側にたっており、例えば田母神論文で論議の的になった「ローズベルト謀略説」については、さすがに無視できないと思ったのか、「ローズベルトが真珠湾攻撃を知りつつ、やらせたとの主張が何度も現れてきた。が、それを実証したものはいない」とアリバイ的に書いてはいるものの、完全に逃げている。

 五百旗頭は「真珠湾の真相」を、米国が軽々しく公表するとでも思っているのだろうか。それでも研究者の努力で、ここ数年でも「1941年7月22日、ローズベルトが中国大陸からの日本爆撃計画を承認した」ことや「真珠湾攻撃の直後に米国務省において、日米交渉や日米関係の重要書類が大々的に焼却または改竄された」ことが明らかになっている(WILL前掲号)。まだ完全解明とまではいかないが、田母神が示唆するとおり「ローズベルトの陰謀」は限りなくクロに近いのだ。
 上掲論文の細部に至っては、冒頭部分の「(日本が参戦しなかったら)世界水準を抜くに至った日本の戦闘機や軍艦の購入を切望する両陣営に対して、有利な取引の出来る立場を得たであろう」など、まさに噴飯ものの妄想的憶測が多い。

 五百旗頭がこんな論文とは到底言えない代物を、臆面もなく防大校長名で全国紙に書いているのだ。防大全学生を対象にした、五百旗頭が行う月1回のゼミは、かかる歴史観に基づいて行なわれていると思うと心底、憂慮に耐えない。

 五百旗頭が旧軍の暴走とか、シビリアン・コントローを語る際に、必ずといって良いほど持ち出すのが「張作霖爆殺」だ。以下は、田母神更迭を完全肯定した「文民統制の重要性」と題した毎日新聞「時代の風」(平成20年11月9日)の関連部分である。

 <航空幕僚長が官房長に口頭で論文を書き応募することを伝えたのみで、原稿を示すことなく、政府見解に反する主張を発表したことが明らかになったとき、防衛大臣は即日幕僚長の解任を決定した。
 これに関連して想起するのは、1928年の張作霖爆殺事件である。関東軍の河本大作参謀は、上司と政府の指示なく、独自の政治判断に基づき、現地政府のトップを爆殺した。それ自体驚くべき独断専行であるが、それ以上に重大であったのが軍部と政府がその犯行を処罰しなかったことである。そのことが、軍人が国のためを思って行う下克上と独断専行はおとがめなしとの先例をなした。軍部に対するブレーキが利かないという疾患によって、日本は滅亡への軌道に乗った。シビリアンコントロールがいかに重要かを示す事例である。
 それを思えば、このたびの即日の更迭はシビリアンコントロールを貫徹する上で、意義深い決断であると思う。制服自衛官は、この措置を重く受け止めるべきである。>

 民間への職務と無関係の論文応募と、軍の実力行使とを同列に置く莫迦さ加減については、論者と同レベルに堕ちたくないので論評しない。が、河本大佐実行説には、ここ10年程で次第に疑念が強くなっている。中西輝政はこう述べる(WILL 平成21年1月号)。

 <21世紀に入って、ロシアでは「張作霖爆殺はコミンテルン(正確にはソ連軍諜報部)がやったものである」という研究や報道が次々と現れ始めた。確定的な1次資料はまだ出ていないが、「日本軍の仕業」として断定できなくなってきているのである。>

 「軍隊は暴走するもの」とし、その最大の論拠として五百旗頭は張作霖爆殺を屡々持ち出すが、仮に中国共産党政権が崩壊して、(ソ連崩壊のときのように)中国から「日本軍の仕業に非ず」を証明する確定的情報が出てきたとしたら、どうする。
 そんな事態に備えて、そろそろ東京裁判史観から逃げ出す算段をしたほうがいいのではと、お節介だが忠告しておく。

(続く)

お断り:既掲載の「五百旗頭真ミニ研究(I〜III)」から執筆者名が落ちていました。
    謹んでお詫びします。岡田政典(防大4期生・昭和35年卒)

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