福田が首相として在任した一年間、五百旗頭は側近中の側近として重用され、福田に対して多大の影響力を発揮したとされる。
クラスター爆弾の廃棄については、それまでの歴代内閣が推進してきた事業であるだけに、マスコミや「クラスター爆弾禁止推進議員連盟」などの圧力があったにせよ、福田にとってクラスター爆弾を廃棄するかどうかは悩ましい問題だった筈である。そんな状況にあった福田が、五百旗頭に廃棄の可否を相談したことは当然過ぎるほど当然だったと考えられる。そして五百旗頭のアドバイスによって、福田は平成20年5月23日、クラスター爆弾禁止条約に賛成(=廃棄)の政治決断に踏み切った。
ちなみに上記平成20年5月23日の前に、福田と五百旗頭は頻繁に会談や会食を行っていて、その状況は筆者の調べでは次の通りとなっている。その頻度もさりながら、時間がその都度かなり長いのに驚かされる。
なお直接会わぬまでも、この2人は携帯電話で直接会話しあう仲であるが、電話交信の実態は調べようがなく不明である。
平成19年 |
10月07日(日): |
午後5時過ぎから約3時間半 |
同 |
11月01日(木): |
午後8時過ぎから約2時間半 |
同 |
11月07日(水): |
午後7時半頃から約3時間 |
同 |
12月23日(日): |
午後6時過ぎから約2時間半 |
平成20年 |
02月20日(水): |
午後6時間過ぎから約3時間 |
同 |
03年03日(月): |
午後5時半から約4時間 |
同 |
03月27日(木): |
午後7時から約2時間半 |
同 |
04月10日(木): |
午後7時半過ぎから約3時間 |
同 |
05月04日(日): |
午後3時頃より約5時間(下記参照のこと) |
同 |
05月06日(火): |
午後6時半から胡錦涛との会食に列席 |
同 |
05月15日(木): |
午後7時頃より約3時間 |
クラスター爆弾禁止条約については、上記会談等の間で話題にのぼったと思われるが、
条約賛成を福田が決めたのは5月4日であることはほぼ確実である。日曜のこの日、福田は防衛省改革についてなんらかの目途をつけるため、他の予定を入れず五百旗頭と石波大臣二人との会談に当てていた、場所は、福田が贔屓の紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂。
福田、石波、五百旗頭の3者会談は午後4時から8時まで延々と続けられたが、実はその前の午後3時からの1時間、福田は五百旗頭と二人っきりで会っているのだ。この福田・五百旗頭会談の主題が、クラスター爆弾禁止条約だったことは間違いない。
何故ならば、その直前の4月10日午後5時から30分間、外務省の原田親仁欧州局長らとともに、中根猛軍縮不拡散・科学部長が福田と会談しているからだ。中根猛軍縮不拡散・科学部長は、クラスター爆弾禁止条約に関する外務省主務者だ。
上記の経緯等からして筆者は、五百旗頭はクラスター爆弾廃棄の、主犯とは言わぬまでも従犯であり、国家防衛あるいは防衛省の裏切者と見ている。かかる認識に至るまでの伏線として幾つかの要因があるが、そのうちの二つを以下に述べる。
①五百旗頭は防大校長就任が決まる以前から、彼の専門分野からして国家運営に関わる発言や著作・論文は数多い。しかし防大校長就任後もそうだが、軍事力(自衛隊に関しては「軍事力」とか「戦力」という用語は使えないが)の意義について、五百旗頭が積極的に発言や評価したものは見当たらない。この点は、現実に日本の脅威である北朝鮮や中国の軍事力についても同様で、五百旗頭にとっての軍事力とは、限りなく無視し得る程度のものらしい。
軍事力軽視と裏腹の関係にあるのが、田母神問題でこれ以上ない程明瞭に露呈した、五百旗頭の軍人(これも日本には存在しないが、軍事力を扱う専門家=正確には「自衛官」)蔑視で、それは以下の発言に凝縮されている。防大校長就任に際して、インタビューに応じて語ったとされるものだ。
「自分は自衛隊を合憲だと思っているが、昨今の周辺脅威論や武装論にはくみせず、『国民が軍事力を監視し暴走を抑え付ける』というシビリアン・コントロールを最重視していきたい」。
もしこの発言が報道どおりだとすれば誠に由々しきことで、政府は校長就任直前であっても即刻五百旗頭を呼んで事実を確認し、状況次第では校長内定を取り消すべきであった。何故ならば五百旗頭は「北朝鮮の核ミサイルや、中国の軍事力増強・覇権主義は脅威ではない」、「したがって日本は軍事力(自衛力)を強化する必要はない」、「それよりも自衛隊が暴走しないよう、国民的監視強化のほうが最重要」と言っているのだ。
こんな偏った視野狭窄の考えの人物を、防大校長に任じていい訳がないではないか。
本来任務である国土防衛に自衛隊が不必要となれば、五百旗頭の関心は専ら付加的任務、とりわけ災害対処となるのは当然で、自衛隊の存在意義は災害対処と言わんばかりの発言がやたら目に付く。五百旗頭にとっての自衛隊とは、災害時などにおける「便利屋」といった程度の認識としか思えない。
シビリアン・コントロールについての認識も、お粗末を通り越して異様と言うしかない。しかし「軍人は目を離すと必ず暴走する」は、五百旗頭にとって冗談ゴトではなく本心なのだ。その証拠に五百旗頭私案をもとに作られ、福田が承認した「防衛省改革報告書」には、文民統制について「軍事組織からの安全」が目玉の一つになっている。要するに「軍事組織からの安全」とは、「自衛隊が暴走して国民に危害を加えないための仕組み」のことだ。北朝鮮や中国ではあるまいに、高い民度と議会制民主主義の日本で「軍事組織からの安全」が重要とは、度し難い偏狭・時代錯誤であり、ありていに言えばバカの妄言だ。
クラスター爆弾は、国民を殺傷する残虐兵器だから、暴走の危険がある自衛隊には持たせるべきではないとでも思ったか。
自衛隊の最高指揮官であったにも拘わらず、栄誉礼と儀仗隊の観閲・閲兵を拒んだ福田と五百旗頭は、軍事忌避という点で将に瓜二つ・一卵性双生児と呼ぶに相応しい。クラスター爆弾禁止条約に賛成(=クラスター爆弾廃棄)するのは、この二人にとっては苦渋の選択ではなく、喜ばしく誇らしいことだったと筆者は確信している。
②五百旗頭は、クラスター爆弾廃棄キャンペーンに血道をあげた毎日新聞と、尋常ならざる親密さにある。同紙への定期寄稿記事が「毎日書評」と「時代の風」の2本、それぞれ月1回弱の頻度で掲載されており、防大校長就任後もそれ以前と全く変りがない。
書評に関しては、五百旗頭は毎日新聞の書評委員として重きをなしており、今年1月、過去13年分の書評を纏めた「歴史としての日本」が、第7回毎日書評賞を授与されている。授賞式には、盟友・福田前総理が出席して祝辞を述べた。
この毎日寄稿の書評は、評者が対象著作を選択して評論する方式のため、内容とともに取り上げた著作に五百旗頭の思想傾向が見えて面白いが、これについてはスペースの関係で次回に譲ることにする。
「時代の風」のテーマは「防衛省改革」、「文民統制」、などなど、殆どが職務に関する内容だから、寄稿に際しては大臣の事前承認が必要な筈だが、当然のごとく五百旗頭は規則を無視している。防衛省という役所は、制服組に対しては些細なことまで、それこそ「箸の上げ下ろし」にまで干渉する反面、文官には限りなく寛容なのだ。
毎日新聞は「クラスターNO」キャンペーンにより、クラスター爆弾廃棄の最大の功労者として、多くの反対論者やNGOなどの賞賛を受け、また一連のキャンペーン記事により同紙取材班には新聞協会賞が授与された。
自社記者が不発弾と知りながら、お土産にクラスター子爆弾を持ち帰ろうとして現地の空港職員を死傷させたのに、この新聞社は自社々員の犯罪行為を挽回した上に、新聞協会賞なる果実を得たのだ。放火犯が消火に努めたからとして表彰されたようなもので、なんとも理解し難い不思議なはなしだ。
五百旗頭はこんな新聞社と、防大校長就任後も親密な関係を続けている。五百旗頭のクラスター爆弾についての認識と、毎日新聞のそれはぴったり合致しているからだろう。