田母神が防衛省を石もて追われた平成20年11月3日以降の約半年の間、彼は単行本出版、定期刊行物寄稿、講演、テレビ出演など、まさに八面六臂・縦横無尽の奮闘ぶりで、その実態はおそらく誰一人予想しなかった凄まじさだった。また彼を迎えた世間の反応がこれまた凄まじく、特に若い世代に熱狂的に歓迎され、世に「田母神現象」と喧伝された。その前代未聞の実態はざっと以下の如くである。
今回のミニ研究はちょっと一服して、田母神の奮闘と、彼の奮闘による波及に焦点を当てて見た。
①単行本9冊は軒並み10万部近くで、数種は10万以上の販売実績を達成
②月刊誌寄稿(対談含む)は13件
③月刊誌の田母神関連記事は70件、うち五百旗頭糾弾を主題とする記事が4件
④講演回数は概ね月に25回平均で、一回の平均聴衆数は概ね700名
⑤インターネット検索で3万2千件、ブログ検索では3万3千件ヒット
⑥動画サイトの田母神出演番組は軒並み万件以上で、4万件超のアクセスもある
なお参考のため、末尾に①②③を資料として添付した。
これ程多彩かつ濃密な活動ぶりだが、田母神に活動の場を与えない、即ち田母神を忌避もしくは無視(する振り)しているのが永田町(=政治家)、霞ヶ関(=官僚)、それに大手のテレビ局と全国紙で、この実態は是非とも記録に残しておきたいと思う。
これら日本の支配層(=エスタブリッシュメント)は、それこそ一致団結して田母神を完膚なきまでに叩いたのに、田母神が民間人になって自由に活動し、一般国民が田母神を高く評価すると、一転して彼を無視する態度に出たのだ。この現象ほど、今日の日本が抱える病巣を端的に露呈したものはなかろう。
支配層は権力を握っている。現在の日本では実際の権力者は霞ヶ関の官僚で、麻生首相はもとより浜田防衛省も、田母神更迭・解任に関しては増田好平事務次官の振り付けどおりに動かされた。
増田は田母神に言わせると、権力乱用で職を追われた守屋前次官の茶坊主で、親分の守屋が事実上解任されたのが幸いして「棚ぼた」で次官となれた人物という。
その増田は、天皇とまで言われたその守屋をドヤしつける度胸を持ち、次期統幕長が予定されていた田母神を、何としても排除したいと機会を伺っていたところに例の田母神論文が現れた。増田は「これは使える」と直感して、「蚤の心臓の浜田大臣」と「部下を庇わず、守らない麻生首相」をいいように操ったのだ。そして見事、田母神征伐を成功させた(以上の経緯は、主に「自衛隊風雲録」に依拠した)。
五百旗頭が防衛省の田母神更迭を完全肯首したのは、権力が官僚にあることを田母神の一件を見て深く実感したからだ。権威主義者の五百旗頭は、ここは田母神を一刀両断に切り捨てるのが得策と確信したのだが、こんな五百旗頭を莫迦だと筆者が心底思うのは、制服組(武人)が秘める矜持に彼が無理解だったことだ。こんな阿呆が、己の分際を弁えず防大校長に就任したのは、本人と日本のために何とも不幸なことだった。
あらゆる点で校長不適格な五百旗頭ではあるが、防衛省官僚への忠勤ぶりを示したことで、彼は官僚の仲間と認められ、その身分は盤石のものとなっている。
防衛省官僚が田母神征伐で凱歌を挙げた一方で、官僚と並ぶもう一つの権力・マスコミは、田母神が一般国民から大歓迎される状況を見て、五百旗頭の扱いを明らかに変えてきた。田母神支持層は全て、反五百旗頭(=防大校長を辞めろ派)なのに気づいたのが、その理由かと推測される。
五百旗頭の並外れた校外活動(
「ミニ研究II」参照)に変化は見られないが、彼のシンポジューム出席や講演に関するマスコミの報道は今年に入って激減していて、マスコミが五百旗頭と距離を取り始めた様子が伺えるのだ。五百旗頭は田母神のみならず、全ての自衛官(=制服組)を貶めたのだから、その五百旗頭を紙面でヨイショしたら、部数減少に繋がると恐れているに違いない。
田母神を追放して疫病払いしたはずの防衛省は、世間の彼への関心の高さと、それに応えて奮戦する田母神に脅威を覚えた。そして何とも姑息極まりない対応にでたのだ。
防衛省には所管する「特例民法法人」が22団体あり、いずれもが防衛省OBが多数在籍している。またこれらの法人を通じて、防衛省は防衛関連企業をコントロールできる。
田母神の言動を規制できない防衛省は、これら法人経由または直接に、大手防衛関連企業に対し、田母神の行動予定などの情報収集を求め、また田母神支援に繋がる行為を禁じた。当然ながら表向きには、防衛省はかかる指令には無関係、総て法人や企業の自発行為ということにした。更には防大同窓会組織を通じて、防大同窓生に対する田母神支援禁止も強要されている。
田母神支援禁止指令や、「裏山談話なる踏み絵」に疑念を抱きながらも、出世やカネのために唯々諾々と従う同窓生が少なからず居ることに、心底情けない思いにとらわれる。
防衛省は田母神の拒否にあって企みを早々に断念したが、実は田母神懐柔のためのアメを提示していたのだ。細部は承知していないが、名誉欲や金銭欲を刺激する内容だったとされる。
田母神という希代の愛国者を、陰湿なやり方で野に放ったのは防衛省だ。その反省もなく、荒野を疾駆する狼をアメでもって取り込もうとは!
「人を見て法を説け!」と、田母神に代わって防衛省に申しておく。
軍服こそ、軍人の名誉と誇りの象徴である。生涯を、この一筋に捧げた自衛官人生の最後なのだ。急転直下の身の上の変化とはいえ、どんなにか氏は、将官の正装に身を固め、自衛官空将の威厳と誇りを持って、毅然として、凛々しく雄々しく、最後の記者会見に臨みたかったであろうか。それさえ許されぬ、いったい、ここまで追い撃つこの陰湿な悪意な何なんだ。私はいまこうしてこれを書きながらも、その時の氏の心中を思い、不覚にも、込みあげるものをこらえることができない。
氏は軍歴(自衛官歴)のない方である。そんな生粋の民間人が、ここまで武人の心中を慮り涙して下さっているのだ。田母神と同じ自衛隊員であり、母校の校長でもある五百旗頭に、氏の惻隠の情の万分の一でもあるか、無い。無いから「このたびの即日の更迭はシビリアンコントロールを貫徹する上で意義深い決断であると思う。制服自衛官は、この措置を重く受け止めるべきである」(毎日寄稿「文民統制の誇り」)などと、武人なら口が裂けても言えない筈の台詞を平然と吐けるのだ。
五百旗頭に武人の誇りを求めぬまでも、防大校長であるならば、せめて田母神の受けた屈辱を理解くらいしろよと当時は思ったが、五百旗頭にこれを期待するのは、所詮「木に縁りて魚を求む」の類だったと分かった。
ミニ研究VIIで紹介した五百旗頭の剽窃疑惑(「『研究者』としての五百旗頭真氏に問う」(杉原誠四郎・正論6月号)で、繰り返し五百旗頭のことを「武士道に悖る人物」と糾弾しているのは誠に正鵠を得た人物評だと、筆者は同感しきりだった。
五百旗頭に対しては、
資料2に挙げた糾弾論文の他、公開質問状が数件突きつけられている。しかし五百旗頭は、そのいずれにも完全無視を決め込んでいる。
およそ公職にある者は、その職に(直接・間接を問わず)関して質問されたならば、可及的速やかに質問に応答するのは最低限の義務ではないか。質問が抗議や糾弾めいたものであったとしても、公職にある者にとっては、誠実に応答すべきことに変わりはない。勿論、ことと次第によっては応えたくない場合もあるだろう。そんな場合でも、少くとも「ノーコメント」を返すべきと筆者は考える。
応答または反論の方法については、五百旗頭は一般人に比べて格段に有利な地位にあり、反論する意志があれば紙誌の編集者は喜んで紙面を提供するし、記者会見を開くのも容易だろう。また質問状はいずれもインターネットに「公開」されているので、同じサイトに投稿することも出来る。しかし五百旗頭は、徹底的に応答を拒むつもりのようだ。
従って筆者は、これまで出された掲載論文や質問状に、五百旗頭は応答すること能わずと断じることにする。そして、防大校長という名誉ある公職を汚すこと、これ程甚だしいものはないと、改めて糾弾と警告をしておく。
筆者らの元には、防大学生やその父兄らから、五百旗頭が月刊誌やインターネットで糾弾されている現状に、戸惑いややりきれなさを覚えるとの意見が寄せられている。ただある父兄から、「学生たちは大丈夫。どうせあんなのはお飾りと、相手にしていないようだ」とのメールがあったことも付け加えておく。
防大関係者は、今や五百旗頭の存在が、防大の尊厳を日々毀損していると認識するべきだ。筆者の見るところ五百旗頭は既に、防衛省以外の世界では勿論だが、防大内でも事実上死に体と化していると思っている。
次回は主に、五百旗頭の「剽窃疑惑」についてお伝えしたい。